1770年――激動の幕開け
1770年は、アメリカ独立革命への道が本格的に開き始めた年であると同時に、南半球の大探検やヨーロッパ王室の政略結婚など、世界規模で歴史が大きく動いた年でした。この記事では、1770年に起こった主要な出来事を月ごとにわかりやすくまとめて紹介します。
1月:ニューヨークで衝突、英国に新内閣誕生
ゴールデンヒルの戦闘(1月19日)
ニューヨーク市で、イギリス兵と植民地人の間に武力衝突「ゴールデンヒルの戦闘」が発生しました。「自由の柱(リバティポール)」をめぐる対立が発端で、負傷者も出たこの事件は、その後に続く植民地と本国の対立の前兆となる出来事でした。
ノース卿がイギリス首相に就任(1月28日)
フレデリック・ノース(後のノース卿)がイギリスの首相に就任しました。彼の政権は、その後のアメリカ植民地政策を主導していくことになります。
2月:少年クリストファー・ザイダーの死
2月22日、ボストンの少年クリストファー・ザイダー(11歳)が、税関関係者のエベネザー・リチャードソンに射殺されました。彼はしばしば「アメリカ独立革命最初の犠牲者」と呼ばれ、市民の反英感情を一気に高めるきっかけとなりました。
3月:ボストン虐殺
3月5日、ボストンの税関前で群衆とイギリス兵が衝突し、兵士が発砲。クリスパス・アタックスら5人が死亡、6人が負傷する「ボストン虐殺」が発生しました。ポール・リビアの版画が広く流布され、植民地全域に反英の機運が急速に広がっていきました。
4月:タウンゼンド諸法の大部分が撤廃/クック、オーストラリアへ
タウンゼンド諸法の撤廃(4月12日)
経済的な打撃を受けたイギリス議会は、タウンゼンド諸法による課税の大部分を撤廃しました。ただし茶に対する税金だけは、議会の課税権を示す象徴として残されました。この妥協こそが、後の「ボストン茶会事件」(1773年)につながる伏線となります。
ジェームズ・クック、ボタニー湾に到達(4月末)
探検家ジェームズ・クック率いるエンデバー号が、オーストラリア東岸のボタニー湾に到達しました。クックはこの地をイギリス領と宣言し、のちのオーストラリア植民地化の出発点を築きました。
5月:マリー・アントワネットの結婚
5月16日、14歳のマリー・アントワネットが、フランス王太子ルイ=オーギュスト(後のルイ16世)と結婚しました。オーストリアとフランスの同盟を固める政略結婚でしたが、彼女の人生はやがてフランス革命へと向かうことになります。
6月~8月:クックの航海が続く
6月にはエンデバー号がグレートバリアリーフに座礁する危機に見舞われましたが、修理を終えたクックは8月にポゼッション島において、オーストラリア東岸全域をイギリス領と正式に宣言しました。
10月~11月:ボストン虐殺の裁判
秋には、ボストン虐殺に関わったイギリス兵の裁判が行われました。後にアメリカ大統領となるジョン・アダムズが弁護を担当し、その結果、兵士6人は無罪、2人だけが過失致死罪で有罪(焼印刑)となりました。感情ではなく法の支配に基づいて裁く姿勢は、植民地人の成熟した法治意識を示すものとして評価されています。
12月:ベートーヴェン誕生
12月16日ごろ、ドイツのボンでルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが誕生しました。同じ1770年には、哲学者ヘーゲル(8月生まれ)、詩人ワーズワース(4月生まれ)も生まれており、この年は思想と芸術を担う巨人たちが生まれた年としても知られています。
1770年の出来事がその後の歴史に与えた影響
1770年に高まった緊張はその後も続きました。1773年の茶法制定とボストン茶会事件、1774年の耐え難き諸法(強制法)と第一次大陸会議、そして1775年のレキシントン・コンコードの戦いを経て、ついにアメリカ独立戦争が勃発します。1770年は、まさにその大きな流れの起点となった年なのです。