ハロルド・ゴドウィンソンの知名度の理由
ハロルド・ゴドウィンソン(Harold Godwinson、1022年頃~1066年)が歴史に名を残す最大の理由は、イングランド最後のアングロサクソン系国王であったことにあります。彼は1066年に即位しましたが、その治世はわずか数ヶ月という短いものでした。しかし、この短い在位期間こそが、イングランドの歴史を大きく転換させる重要な時代だったのです。
ウェセックス伯ゴドウィンの息子として生まれる
ハロルドは、イングランドで絶大な権力を誇ったウェセックス伯ゴドウィンと、デンマーク貴族ソルギルス・スプラカベッグの娘ギーサとの間に生まれました。父ゴドウィンはクヌート大王の時代から台頭し、エドワード懺悔王の下でも宮廷に大きな影響力を持っていました。こうした名家の出身であることが、ハロルドの政治的キャリアの基盤となりました。
1066年1月、イングランド王への即位
1066年1月、エドワード懺悔王が後継者を残さずに死去すると、ハロルドは賢人会議(ウィタン)によってイングランド王に推戴されました。即位直後から、彼の統治には数々の試練が待ち受けていました。
二つの戦いに挑んだ1066年
ハロルドの治世を脅かしたのは、イングランド王位を主張するノルマンディー公ギヨーム(後の征服王ウィリアム)でした。さらに北からはノルウェー王ハーラル・シグルズソン(硬骨王)も王位を狙って侵攻してきました。
同年9月、ハロルドはヨークシャーのスタンフォード・ブリッジの戦いにおいて、ノルウェー軍を見事に撃破しました。この勝利は彼の優れた軍事的才能を示すものでした。
ヘイスティングスの戦いでの最期
しかし、スタンフォード・ブリッジでの勝利からわずか数週間後、今度は南イングランドにノルマンディー公ギヨームが上陸します。急行軍で応戦したハロルドは、1066年10月14日のヘイスティングスの戦いで敗れ、戦死しました。
この敗北により、ノルマン・コンクエスト(ノルマン人によるイングランド征服)が実現し、イングランドの支配層はアングロサクソン人からノルマン人へと交代しました。言語や文化、社会構造にまで及ぶこの大変革の象徴的存在として、ハロルド・ゴドウィンソンは今日でも広く知られているのです。