征服王ウィリアムに「姓」は存在したのか?
イングランドを征服したウィリアムには、現代のような意味での「姓(ラストネーム)」はありませんでした。彼はファーストネームのみで知られており、これは当時の歴史上の人物に広く見られる慣習でした。
一般に「征服王ウィリアム(William the Conqueror)」として知られる彼は、ノルマン朝初代のイングランド国王であり、1066年の即位から1087年に死去するまで王国を統治しました。
フルネームは「ウィリアム・フィッツロバート」
彼のフルネームは「ウィリアム・フィッツロバート(William FitzRobert)」と伝えられています。「FitzRobert」とは「ロバートの子」を意味する古い呼称で、父親の名前に由来して個人を識別するものでした。このように、中世ヨーロッパでは現代のような固定された家名ではなく、父の名前や出身地、通称などによって人物が区別されていました。
つまり、ウィリアムの場合も「フィッツロバート」は厳密な意味での姓ではなく、父であるロバート(ノルマンディー公ロベール1世)との関係を示す識別子だったのです。後に彼が「征服王」という称号で呼ばれるようになったのも、同様に個人の業績から生まれた通称の一種といえます。