マーストン・ムーアの戦いの基本情報
1644年7月2日、イングランド北部ヨークシャーのマーストン・ムーア(湿原)において、イングランド内戦(清教徒革命)史上最大規模となる会戦が行われました。王党派(国王チャールズ1世の軍)と議会派(イングランド議会軍およびスコットランド同盟軍)が衝突したこの戦いは、内戦全体の行方を左右する大きな転換点となりました。
交戦した両勢力
- 王党派: 国王チャールズ1世率いる勢力
- 議会派: イングランド議会とスコットランド国民盟約軍の連合軍
指揮官
- 王党派: ルパート王子(ライン公ルパート)、ニューカッスル伯ウィリアム・キャヴェンディッシュ
- 議会派: マンチェスター伯エドワード・モンタギュー、フェアファックス卿トーマス・フェアファックス、オリバー・クロムウェル
両軍の兵力
- 王党派: 約20,000人
- 議会派: 約25,000人
損害
- 王党派: 戦死約3,000人、捕虜約1,500人
- 議会派: 戦死約2,000人
結果
戦いは議会派の圧倒的な勝利に終わりました。
開戦までの経緯
1644年当時、王党派の北部拠点であるヨーク市は、議会派・スコットランド連合軍によって包囲されていました。ルパート王子はこれを解囲するため北上し、ヨークの包囲を解いた後、数で勝る連合軍を迎え撃つべくマーストン・ムーアに布陣しました。夕刻に始まった攻撃は、イングランド史上屈指の大規模な夜戦へと発展していきます。
この戦いの歴史的意義
マーストン・ムーアの戦いは、イングランド内戦における最も重要な戦闘の一つとされています。王党派は壊滅的な打撃を受け、間もなくヨークは陥落しました。これによりイングランド北部の主導権は議会派の手に移り、戦争全体の流れが大きく変わることとなったのです。
知っておきたい追加の事実
- マーストン・ムーアの戦いは、イングランド内戦中で最大かつ最も犠牲者の多い会戦でした。
- 戦闘は8時間以上に及び、激しい雨と霧の中で繰り広げられました。
- 騎兵同士の突撃は特に激烈で、両軍ともに甚大な損害を出しました。
- オリバー・クロムウェル率いる「アイアンサイド(鉄騎隊)」の活躍が、議会派の勝利を決定づけました。
- この勝利により議会派は勢いを得て、最終的な内戦の勝利へとつながっていきました。