1945年5月27日。ヨーロッパではすでに第二次世界大戦が終結し、世界は「戦後」への移行期を迎えていました。一方で太平洋戦争は依然として続いており、日本本土への空襲が激化していく時期でもあります。ここでは、この頃の世界で起きていた主な出来事を整理して紹介します。
ヨーロッパでは戦争がすでに終わっていた
ドイツの降伏と「ヨーロッパ戦勝記念日(V-E Day)」
ドイツは1945年5月7日、フランス・ランスで連合国に対する降伏文書に調印しました。批准のための署名式は5月8日深夜から9日未明にかけてベルリンで執り行われ、西側諸国は5月8日を「ヨーロッパ戦勝記念日(V-E Day)」、ソ連は5月9日を戦勝記念日としています。したがって5月27日の時点で、ヨーロッパの戦火はすでに収まっていました。
歓喜に包まれた連合国諸国
ドイツ降伏の知らせが広まると、米・英・ソなどの連合国では街頭に人々があふれ、踊り、歌い、長年の犠牲の末に訪れた勝利を祝いました。ロンドンのトラファルガー広場やバッキンガム宮殿前、ニューヨークのタイムズスクエアなどは、歓喜の人波で埋め尽くされたといいます。
アメリカの政治と外交の動き
トルーマン政権の始動
アメリカでは、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が4月12日に死去したことに伴い、ハリー・S・トルーマンが第33代大統領に就任していました。5月下旬のトルーマンは、同年7月に開催されるポツダム会談への備えや、原子爆弾の使用可否といった重大な決断に向け、検討を重ねていた時期にあたります。
サンフランシスコ会議の継続
5月27日当日も、カリフォルニア州サンフランシスコでは「国際機関に関する連合国会議」(通称・サンフランシスコ会議)が継続していました。この会議は4月25日に開幕し、6月26日の国際連合憲章調印まで約2か月間にわたり開催され、戦後の平和と安全を守るための新たな国際機関=国際連合の設立が話し合われました。5月下旬には憲章案の細部に関する協議が進められていたとされます。
戦後構想の検討
連合国首脳の間では、ヨーロッパの復興、新しい国際秩序の構築、ドイツの非ナチ化(デナチフィケーション)、戦犯裁判の方針など、戦後処理をめぐる協議が本格化していました。こうした議論は、同年7月のポツダム会談へとつながっていきます。
太平洋では戦争が続いていた
沖縄戦と日本本土への空襲
一方、太平洋地域では戦闘が続いていました。沖縄では4月1日の米軍上陸以降、激烈な地上戦が展開され、組織的戦闘は6月下旬まで続きます。日本本土に対しても、5月25日には東京・山手一帯を焼き尽くす大規模な空襲があり、皇居の一部にも被害が及びました。さらに5月29日には横浜が大空襲を受け、市街地の大部分が焼失しています。
「インディアナポリス沈没」の日付について
なお、「5月27日に重巡洋艦インディアナポリスが撃沈された」という記述を目にすることがありますが、これは誤りです。同艦が日本海軍の伊58潜水艦の雷撃によって沈んだのは1945年7月30日のことです。インディアナポリスは広島に投下される原子爆弾の部品をテニアン島へ輸送した直後であり、乗員約1,200名のうち約300名が艦と運命を共にし、海上に投げ出された約880名のうち救助されたのはわずか316名でした。
まとめ
1945年5月27日は、ヨーロッパではすでに「戦後」が始まり、国際連合の設立に向けた外交が進む一方、太平洋では戦争が続き、日本への攻撃が一段と激しさを増していた日でした。欧州の終戦とアジア・太平洋での戦争継続という対照的な状況が並存していたことこそ、この時期の歴史を理解するうえで重要なポイントだといえるでしょう。