1060年代:ヨーロッパ史の分水嶺となった10年
1060年代は、ヨーロッパの歴史が大きく動いた10年間です。とりわけ象徴的なのが、1066年にイングランドで起こった「ノルマン・コンクエスト(ノルマン征服)」です。フランス北西部のノルマンディー公ギヨームがイングランドを征服し、以後のイングランドの言語・制度・社会構造に決定的な影響を与えました。ここでは、1060年代の主な出来事を年ごとに整理して紹介します。
1060年
- ハンガリーでベーラ1世が王位に就き、王国の再編と安定化を図りました。
1061年
- ノルマン人が地中海のシチリア島征服に着手。ロジェ・ド・オートヴィル率いる部隊がメッシーナを占領し、イスラム勢力支配下にあった島への足がかりを築きました。
1062年
- 北シリアからレバノンにかけてのレヴァント地方で大規模な地震が相次ぎ、都市や集落に深刻な被害をもたらしました。
1063年
- イベリア半島ではグラウスの戦いが勃発。カスティーリャ王国と戦ったアラゴン王ラミロ1世が戦死しました。
- ウェールズを実質的に統一していた君主グリフィズ・アプ・リウェリンが、イングランド側の攻勢の後に命を落とし、ウェールズの勢力図が大きく塗り替えられました。
1064年
- イングランドの有力貴族ハロルド(後の国王ハロルド2世)が海峡を渡ってノルマンディーを訪れ、ギヨーム公に忠誠を誓ったと伝えられます。この約束の有無をめぐる解釈の違いが、2年後の王位継承争いの火種となりました。
1065年
- イングランド北部でノーサンブリア人が反乱を起こし、政治情勢が緊張しました。
- エドワード懺悔王が建立したウェストミンスター寺院が完成し、献堂式が執り行われました。
1066年:歴史が大きく動いた年
- 1月、エドワード懺悔王が後継者を残さず死去。ハロルド・ゴドウィンソンがハロルド2世として即位します。
- 9月、ノルウェー王ハーラル3世(硬骨王)がイングランドに侵攻するも、スタンフォード・ブリッジの戦いでハロルド2世に敗れて戦死しました。
- 同月末、ノルマンディー公ギヨームが艦隊を率いてイングランド南岸に上陸。
- 10月14日、ヘイスティングスの戦いでノルマン軍が決定的な勝利を収め、ハロルド2世は戦死しました。
- 12月25日、ギヨームはロンドンでウィリアム1世(征服王)として戴冠。イングランドに封建制度が本格的に導入され、貴族層や土地制度が一変しました。
- この年、ハレー彗星が出現し、その姿は有名な「バイユー・タペストリー」にも描かれています。
1067年
- ノルマン支配に反対する反乱がケントなど各地で発生しましたが、いずれも鎮圧されました。
- チェプストウ城など、イングランド辺境に初期のノルマン様式城塞の建設が始まりました。
1068年
- ウィリアム1世はイングランド西部・中部への支配拡大を進め、エクセターなどを平定。各地にモット・アンド・ベーリー式の城塞が次々と築かれました。
1069年
- イングランド北部で大規模な反乱が起こると、ウィリアム1世は徹底的な報遠征を実施。これは後の「北部の蹂躙」と呼ばれる過酷な弾圧につながりました。
- ロンドンの防衛強化のため、テムズ川沿いに白亜の要塞「ホワイト・タワー(ロンドン塔)」の建設計画が進められ、実際の着工は1070年代後半に行われました。
1060年代が後世に残したもの
1060年代の最大の転換点は、何といってもノルマン・コンクエストです。ウィリアム1世の支配により、イングランドには大陸式の封建制度が根づき、フランス語系の言葉が英語に大量に流入しました。城塞建築の普及や、全土の土地台帳である「ドゥームズデイ・ブック」(1086年編纂)の作成など、その影響はその後数百年にわたって続きます。一方、地中海ではノルマン人によるシチリア征服が始まるなど、1060年代はまさに「ノルマン人の世紀」の幕開けを告げる10年間だったのです。