歴史物語

クリスパス・アタックスの友人は誰だったのか?ボストン虐殺の犠牲者とその周辺の人々

クリスパス・アタックスとはどんな人物か

クリスパス・アタックス(Crispus Attucks)は、1770年3月5日に起きた「ボストン虐殺」で命を落としたアフリカ系アメリカ人の男性です。彼は、アメリカ独立戦争における最初の犠牲者であると考えられています。

アタックスはマサチューセッツ州フラミンガムで奴隷として生まれ、ウィリアム・ブラウンという白人の所有する奴隷でした。しかし彼は奴隷の身分から逃れ、ボストンへ移住します。そこでは港湾労働者や船員として働きながら、イギリスによる支配に反対する政治組織「自由の息子たち(Sons of Liberty)」の活動にも参加していました。

ボストン虐殺での死

1770年3月5日の夜、ボストンのキング・ストリート(現・州庁通り)において、イギリス兵の一団と入植者たちが口論を始めました。争いは瞬く間に暴力的な衝突へとエスカレートし、ついにはイギリス兵が入植者たちに向けて発砲。アタックスはその際、最初に命を落とした人物の一人となったのです。

クリスパス・アタックスに関わりのあった人々

アタックスと関わりのあった、あるいは彼の死後もその遺志を継いだとされる主な人物は以下の通りです。

ジョン・アダムズ(John Adams)

弁護士であり政治家でもあり、後にアメリカ合衆国第2代大統領となった人物です。興味深いことに、アダムズはボストン虐殺に関与したイギリス兵の弁護を担当しました。一方で、イギリス政府のアメリカに対する政策については批判的な立場を取っていました。

サミュエル・アダムズ(Samuel Adams)

ジョン・アダムズの従兄にあたり、「自由の息子たち」の指導者でした。イギリス支配への声高な反対者であり、有名な「ボストン茶会事件」の組織化において重要な役割を果たしました。

ジョサイア・クインシー(Josiah Quincy)

弁護士・政治家としてマサチューセッツ植民地議会でボストンの代表を務めました。入植者の権利を擁護する強硬な擁護者であり、イギリス政府への抵抗運動の組織化に尽力しました。

ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)

科学者、発明家、そして政治家として、アメリカ独立革命に多大な貢献をした人物です。アタックスの親しい友人の一人とされ、アタックスが虐殺で亡くなった後には、残された家族のために資金集めを行うなど、支援の手を差し伸べたといわれています。