歴史物語

アンネ・フランクはどの強制収容所に送られたのか?その足跡と最期

アンネ・フランクがたどった収容所の足跡

『アンネの日記』の著者として世界的に知られるアンネ・フランクは、ナチス・ドイツによるホロコーストの犠牲者の一人です。彼女は一つの収容所にとどまらず、複数の施設を転々とした末に短い生涯を閉じました。

ヴェステルボルクからアウシュヴィッツへ

1944年8月、アンネ一家はアムステルダムの隠れ家(「後家」)で逮捕され、まずオランダ国内のヴェステルボルク通過収容所に送られました。その後、同年9月には貨物列車でポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ移送されています。

最期の地となったベルゲン・ベルゼン

1944年10月末から11月にかけて、アンネは姉のマルゴーとともにドイツ北部のベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移されました。終戦直前の1945年2月から3月頃、アンネはチフス(発疹チフス)のため、わずか15歳でこの地で亡くなりました。姉のマルゴーも同じ病気で命を落としています。母親のエーディトはそれに先立つ1945年1月、アウシュヴィッツで死去しました。

まとめ

つまりアンネ・フランクは「どこにも送られなかった」のではなく、ヴェステルボルク → アウシュヴィッツ=ビルケナウ → ベルゲン・ベルゼンという経路をたどり、1945年初頭にベルゲン・ベルゼンでチフスにより死去したのです。彼女が遺した日記は、父オットー・フランクの手によって出版され、ホロコーストの悲劇と平和の尊さを今なお世界に伝え続けています。