歴史物語

ジョン・ハニング・スピークの死因とは?1864年、バース近郊での猟銃事故の真相

ジョン・ハニング・スピークの最期

ナイル川の源流探索で名を馳せたイギリスの探検家ジョン・ハニング・スピーク(John Hanning Speke)は、1864年9月、イングランド南西部のバース周辺を訪れていた際に銃撃により命を落としました。

「偶発的な事故」と結論づけられた死

スピークはその日、現地での狩猟に参加していました。石垣などを乗り越えようとした瞬間に携行していた猟銃が暴発し、自身に弾丸が命中したと伝えられています。その後に行われた検死審問では、この死は意図的なものではなく「明らかに偶発的な事故」であると判断されました。

歴史に残る探検家の突然の別れ

スピークは、アフリカ内陸部の探検においてヴィクトリア湖をナイル川の源流であると主張したことで広く知られる人物です。皮肉なことに、彼が亡くなったのは、かつての旅の相棒であり学説上の最大の論敵でもあったリチャード・バートンとの公開討論に臨む直前のことでした。ヴィクトリア朝イギリスを代表する探検家のひとりが、37歳という若さで予期せぬ形でこの世を去ったことは、当時の世間に大きな衝撃を与えました。