「ジャーンシーの王はどのように亡くなったのか」という疑問に対する答えは意外なものです。実は、ジャーンシーの藩王(マハーラージャ)であるガンガーダル・ラーオは戦場で亡くなっていません。彼は1857年のインド大反乱が始まる前の1853年に病気で死去しています。
一般に「ジャーンシー」という名で語られる悲劇的な最期とは、その未亡人であり女王であったラニ・ラクシュミバイ(ラクシュミー・バーイー)のことなのです。
ラニ・ラクシュミバイとはどんな人物か
ラクシュミバイは1828年頃に生まれ、1842年にジャーンシーの藩王ガンガーダル・ラーオと結婚しました。しかし、息子に先立たれた後、夫のガンガーダル・ラーオも1853年に亡くなります。夫妻には男子の後継者がいなかったため、親族の子供を養子に迎えました。
ところが当時のイギリス東インド会社は「消滅権(ドクトリン・オブ・ラプス)」と呼ばれる政策を適用し、養子による王位継承を認めず、ジャーンシー王国を併合してしまいました。この理不尽な扱いが、ラクシュミバイの反英闘争の出発点となったと考えられています。
1857年インド大反乱と女王の戦い
1857年、インド各地でセポイ(インド人傭兵)を中心とした大規模な反乱、いわゆるインド大反乱(セポイの反乱)が勃発しました。ラクシュミバイは当初イギリスとの協調を模索しましたが、やがて反乱軍の中心的指導者の一人となり、ジャーンシー防衛戦などで卓越した指揮能力を発揮しました。
グワーリオル攻囲戦での最期
そして1858年6月18日、中央インドの要衝グワーリオルをめぐる戦い(グワーリオル攻囲戦)において、ラクシュミバイはイギリス軍との激戦の中で戦死しました。馬上で奮戦した末に落命したと伝えられ、享年はわずか29歳前後だったといわれています。
彼女の勇壮な最期はインド国内で英雄譚として語り継がれ、ラクシュミバイは「インドのジャンヌ・ダルク」とも称され、独立運動の象徴的存在となりました。
まとめ
つまり、ジャーンシーの王ガンガーダル・ラーオは戦死しておらず、1853年に病没しています。1858年6月18日にイギリス軍との戦いで亡くなったのは、女王ラニ・ラクシュミバイです。彼女はインド大反乱における最大の英雄の一人として、今日でも深く敬愛され続けています。