真珠湾攻撃とルーズベルト大統領
1941年12月7日(日本時間12月8日)にハワイ・真珠湾で行われた日本海軍による攻撃が発生した際、アメリカ合衆国大統領を務めていたのは、第32代大統領フランクリン・D・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt)でした。
ルーズベルトは1933年に大統領に就任し、世界恐慌からの立て直しを目指す「ニューディール政策」で知られる人物です。彼は1940年の選挙で三選を果たしており、真珠湾攻撃の時点で三期目の任期中でした。
「屈辱の日」と演説
攻撃を受けた翌日の12月8日、ルーズベルト大統領は連邦議会で歴史に残る演説を行いました。その中で彼は、この日を「永遠に屈辱として生きる日(a date which will live in infamy)」と表現しました。この演説は一般に「屈辱演説」あるいは「不名誉の日演説」として知られています。
同日、議会は日本に対する宣戦布告を可決し、アメリカは第二次世界大戦への参戦へと舵を切ることになりました。
その後の影響
真珠湾攻撃は世論を一変させ、それまで参戦に慎重だったアメリカ国民の意識を大きく転換させました。ルーズベルトは以降、連合国側の指導者として戦争を主導し、1945年に死去するまで大統領職を務めました。なお、彼は1944年の選挙でも四選を果たしており、史上唯一4期連続で大統領を務めた人物となっています。