アフリカの歴史

ベルリン会議とは?アフリカ分割を決めた1884年の国際会議をわかりやすく解説

ベルリン会議(Berlin Conference)は、ドイツ帝国の宰相オットー・フォン・ビスマルク(1815〜1898年)が提唱し、1884年11月から1885年2月にかけて開催された、アフリカ大陸の分割を話し合うための国際会議です。

会議に参加した国々

会議には、19世紀の帝国主義列強であるアメリカ合衆国、ロシア、イギリス、デンマーク、ポルトガル、スペイン、フランス、ベルギー、オランダ、イタリア、ドイツ帝国、スウェーデン、ノルウェー、オーストリア=ハンガリー帝国、そしてトルコ(オスマン帝国)が出席しました。

注目すべきは、ドイツ帝国やオスマン帝国、アメリカのように、当時アフリカに植民地を持たなかった国も含まれていた点です。しかし、それぞれがアフリカ領土の獲得や通商条約の締結に強い関心を持っていました。

ベルリン会議の背景と目的

ベルリン会議とは?アフリカ分割を決めた1884年の国際会議をわかりやすく解説

ベルリン会議は1884年11月から1885年2月まで、ドイツで開催されました。議長はビスマルク自身が務め、会議は約3か月間続き、交渉はすべて秘密裏に行われました。これは当時の外交慣習によるものです。

公式には、コンゴ盆地とニジェール川における自由な移動と貿易の保障、そしてアフリカ大陸からの奴隷制廃止への取り組みが会議の目的とされました。

しかし実際の狙いは、アフリカの領有権をめぐって列強間で生じていた対立を解決し、征服された領土を列強の間で友好的に分配することにありました。アフリカは原料資源が豊富な大陸であり、すべての国ができるだけ多くの領土の獲得を目指していたのです。

目的自体は一応達成されたものの、ベルリン会議は参加国間にいくつもの摩擦を生みました。以下、主な例を見ていきましょう。

ベルギーの野心

国王レオポルド2世は、大陸中央部の孤立したアクセス困難な地域を自らの領土として選びました。彼の意図は、イギリスやフランスのような帝国主義国家としてベルギーの地位を確立することにありました。

その結果、ベルギー領コンゴは他国の複数の植民地と国境を接することになり、将来の紛争の火種となりました。

フランス対イギリス

フランスとイギリスは、アフリカのみならずアジアにおいても植民地覇権をめぐって激しく競合していました。そのため両国は、アフリカ大陸のできるだけ多くの土地に足場を築こうと競い合いました。

イギリスは当時最大規模を誇る強力な海軍力を背景に、交渉結果への圧力と影響力を行使しました。一方のフランスは、19世紀を通じて各地の部族首長たちと条約を結んでおり、これを根拠にアフリカでの領土確保を進めました。

この手法は、アフリカを占領したすべての国が用いたものです。ヨーロッパ諸国は特定の部族と同盟を結び、敵対する部族との戦争を助長することで、自らの勢力圏を拡大していきました。

ベルリン会議の結果と影響

その結果、アフリカの領土はベルリン会議の参加国によって以下のように分割されました。

ベルリン会議とは?アフリカ分割を決めた1884年の国際会議をわかりやすく解説
  • イギリス:植民地が大陸を縦断し、北はエジプトから南は南アフリカまで広大な領域を領有
  • フランス:おもに北アフリカ、西アフリカ沿岸、そしてインド洋の島々を占領
  • ポルトガル:カーボベルデ、サントメ・プリンシペ、ギニア、アンゴラ、モザンビークなどの既存植民地を維持
  • スペイン:北アフリカと西アフリカ沿岸の植民地を引き続き保持
  • ドイツ:大西洋岸の現在のカメルーンとナミビア、インド洋岸のタンザニアを獲得
  • イタリア:ソマリアとエリトリアに進出。エチオピアへの進出を試みたが撃退される
  • ベルギー:大陸中央部、現在のコンゴとルワンダに相当する地域を占領

また、コンゴ盆地とニジェール川における商業の自由が保障されるとともに、奴隷制および人身売買の禁止も取り決められました。

ベルリン会議は、宰相ビスマルクにとって大きな外交的勝利となりました。この会議を通じて、ドイツ帝国はもはや無視できない存在であり、イギリスやフランスと同等の重要性を持つ国であることを示したのです。

しかしその一方で、会議は帝国主義列強間のアフリカにおける国境紛争を根本的に解決するには至らず、やがて第一次世界大戦(1914〜1918年)へとつながっていきます。

大戦では、ドイツ・オーストリア・イタリアからなる三国同盟と、フランス・イギリス・ロシアからなる三国協商という二大陣営が衝突しました。

アフリカはこれらヨーロッパ諸国の延長とみなされていたため、大陸もまた世界大戦に巻き込まれ、現地の人々までもが各国の軍隊に編入されました。

列強が描いたこの新しいアフリカの姿は、第二次世界大戦(1939〜1945年)の終結まで続きました。それ以降、多くのアフリカ諸国で独立運動が相次いで勃発することになります。