アフリカの歴史

ブラックハンドはテロリスト集団だったのか?―第一次世界大戦の引き金を引いた秘密結社

ブラックハンドとは何か

ブラックハンド(正式名称「統一か死を」)は、1903年にセルビアの民族主義者たちによって結成された秘密結社です。彼らの最大の目標は、バルカン半島に暮らす南スラヴ系諸民族――セルビア人、クロアチア人、スロベニア人など――を単一の国家のもとに統合することでした。当時、南スラヴ人の多くはオーストリア=ハンガリー帝国やオスマン帝国の支配下に置かれており、民族自決の機運が高まりつつありました。

テロリズムを戦術とした活動

ブラックハンドは、その理想を実現するために過激な手段を選びました。暗殺、破壊工作、扇動活動といった、今日でいう「テロリズム」に相当する戦術を積極的に用いたことで知られています。軍部の有力者たちが関与していたともされ、オーストリア=ハンガリー帝国に対する地下活動や武装闘争を展開していました。

サライェヴォ事件と第一次世界大戦

1914年6月28日、ボスニアのサライェヴォを訪問中だったオーストリア皇位継承者のフランツ・フェルディナント大公が、ブラックハンドと関係の深い青年たち――ガブリロ・プリンツィプら「青年ボスニア」のメンバー――によって暗殺されました。この「サライェヴォ事件」は、オーストリア=ハンガリーによるセルビアへの宣戦布告を引き起こし、列強各国が同盟関係に基づいて連鎖的に参戦した結果、第一次世界大戦へと拡大していきました。

では、ブラックハンドは「テロリスト集団」だったのか?

現代の基準で見れば、政治的目的のために暴力や暗殺を意図的・組織的に使用したという点で、ブラックハンドはテロリスト組織の定義に当てはまると評価されるのが一般的です。一方で、当時のバルカン半島では民族解放の運動が広く支持されており、彼らを「自由のための闘士」とみなす見方も存在しました。

歴史的に振り返ると、ブラックハンドは民族統一という理念を掲げながら、その実現手段として暴力を選択した組織でした。そしてその選択は、ヨーロッパ全土を戦火に巻き込み、数千万もの人命を奪う世界大戦の引き金となったのです。「目的のためには手段を選ばない」姿勢がもたらした悲劇的な帰結として、ブラックハンドの歴史は今も語り継がれています。