クレオパトラ7世がエジプトの女王となれた最大の理由は、彼女が長きにわたりエジプトを統治してきたプトレマイオス朝の直系の子孫だったからです。しかし、単なる血筋だけでなく、激しい権力闘争を乗り越えてきた経緯も見逃せません。ここでは、クレオパトラが女王の座に就いた背景を順を追って解説します。
プトレマイオス朝の血統を受け継ぐ王女
クレオパトラは、紀元前80年から紀元前51年までエジプトを支配したプトレマイオス12世(アウレテス)の娘として生まれました。プトレマイオス朝は、アレクサンドロス大王の部将プトレマイオス1世が紀元前305年に建国した王朝で、以来約300年にわたりエジプトを統治してきた名門です。つまり、クレオパトラは代々ファラオとして君臨する王家の血を引く、正統な後継者候補だったのです。
父の死後、弟との共同統治が始まる
紀元前51年、父プトレマイオス12世が亡くなると、当時18歳頃だったクレオパトラは、弟のプトレマイオス13世(当時10歳前後)とともに共同統治者として王位に就きました。プトレマイオス朝では兄妹による共同統治が慣例となっており、これもまた王家の伝統に基づくものです。
追放の危機——宮廷内の権力闘争
しかし、共同統治は長く続きませんでした。宦官ポティノスらを中心とする宮廷勢力がプトレマイオス13世側についたことで、クレオパトラは次第に追い詰められていきます。やがて実権を失った彼女は、シリア方面への亡命を余儀なくされました。
ユリウス・カエサルの支援で復位
転機が訪れたのは紀元前48年です。ローマの内乱で敗れたポンペイウスがエジプトへ逃れ、プトレマイオス13世によって殺害されると、その後を追ってアレクサンドリアに到着したユリウス・カエサルが仲裁役として介入しました。ここでクレオパトラはカエサルと結びつき、その軍事的支持を得ることに成功します。
続くアレクサンドリア戦争でカエサル軍はプトレマイオス13世の勢力を打ち破り、彼はナイル川で命を落としました。こうして紀元前47年、クレオパトラは正式にエジプト唯一の支配者(ファラオ)としての地位を確立したのです。
まとめ
クレオパトラが女王になれたのは、約300年の歴史を持つプトレマイオス朝の正統な血統を受け継いでいたことが大前提でした。そのうえで、父の死後に始まった弟との共同統治から一時は追放されながらも、ユリウス・カエサルという強力な後ろ盾を得て権力を取り戻しています。血筋と幸運、そして卓越した政治的手腕が組み合わさった結果といえるでしょう。