もしミズーリ州が奴隷州として連邦に加盟することを許されていたら、奴隷制度がルイジアナ準州全域へと拡大していた可能性があります。その理由を理解するには、1820年に成立した「ミズーリ妥協」の仕組みと、それが支えていた微妙な政治的均衡を見ていく必要があります。
1820年のミズーリ妥協とは
ミズーリ妥協は、ミズーリ州を奴隷州として連邦に加える一方で、北部のメイン州を自由州として新たに迎え入れるという、一見取引のような形で成立した歴史的合意です。これにより、上院における自由州と奴隷州の議席数は12対12の同数となり、南北どちらの勢力も優位に立たない絶妙なバランスが保たれました。
さらにこの妥協では、ルイジアナ買収によって獲得した領土のうち北緯36度30分以北では、ミズーリ州を除いて今後奴隷制度を禁じるという線引きも行われました。つまり、単なる州の数合わせではなく、将来の領土拡大における奴隷制の範囲まで定めた包括的な枠組みだったのです。
極めて不安定だった均衡
しかし、この均衡は本質的に脆いものでした。メイン州の自由州としての加盟は、ミズーリ州の奴隷州としての加盟と引き換えになっていたためです。もしメイン州を伴わずにミズーリ州だけが奴隷州として認められていれば、議会の勢力図は一気に奴隷制擁護派へと傾いていたでしょう。
勢力均衡が崩れた場合、南部の議員たちは新たな準州での奴隷制容認を強く推し進めることが予想されます。妥協による北緯36度30分の境界線も、政治的な圧力の中で守り抜くことは非常に困難になったはずです。
もし妥協が成立しなければどうなっていたか
こうした状況下では、奴隷制度がルイジアナ準州の他の地域、例えばアーカンソー準州や、後のオクラホマとなる地域へと広がっていく可能性が高かったと考えられます。これらの地域は気候や農業条件が奴隷労働に依存するプランテーション経済に適しており、南部の開拓者たちにとって魅力的な移住先となっていたからです。
実際、アーカンソー州が1836年に奴隷州として加盟したことは、そうした拡大の流れが現実に存在していたことを示しています。ミズーリ妥協という歯止めがなければ、この流れはより早く、より広範囲に及んだことでしょう。
まとめ
結局のところ、ルイジアナ準州全域への奴隷制度の拡大を防いだのは、メイン州とミズーリ州をセットで連邦に加えるという「引き換えの論理」と、北緯36度30分という明確な地理的境界線でした。この二つの仕組みが一体となって初めて機能する、極めて繊細な妥協だったのです。そしてこの均衡が維持できなくなったとき、米国は南北戦争という最大の危機へと向かっていくことになります。