チャンドラグプタ・マウリヤの死は謎に包まれている
古代インドで最初の統一帝国とも言われるマウリヤ朝を築いたチャンドラグプタ・マウリヤは、紀元前298年にこの世を去りました。しかし、その死には明確な記録が残されておらず、謎めいた状況の中で亡くなったとされています。彼を直接殺した人物がいたという確固たる証拠はないものの、死因については複数の説が存在し、歴史家の間でも見解が分かれています。
有力な説:ジャイナ教の修行による断食死「サッレーカナー」
最も広く知られているのは、ジャイナ教の断食死(サッレーカナー)によって亡くなったという説です。
伝承によれば、チャンドラグプタは晩年、王位を息子のビンドゥサーラに譲り、自らは王冠を捨ててジャイナ教の修行者(出家者)となりました。ジャイナ教の高僧バドラバーフに師事し、南インドのカルナータカ州シュラヴァナベラゴーラへ移り住んだとされます。そして、老いや病に伴う肉体への執着を断ち切るため、静かに断食を行い、命を終えたと言われています。
これは自ら選んだ宗教的実践であり、他者に殺されたものではありませんが、結果的に「飢えにより死んだ」ことになるため、彼の死因としてしばしば語られるのです。
その他の死因に関する諸説
一方で、サッレーカナー説以外にも以下のような見解があります。
- 自然死説: 高齢による衰弱や病気が原因で亡くなったという単純な見方です。
- 記録不足による不確実性: 当時の正確な史料が乏しく、後世の文献や伝承に頼らざるを得ないため、真相の特定が困難になっています。
まとめ
チャンドラグプタ・マウリヤを「殺した人物」は存在せず、彼は退位後にジャイナ教の僧侶として生き、断食死(サッレーカナー)によって静かに生涯を閉じた可能性が高いと考えられています。ただし、当時の史料が限られているため、正確な死因は今なお確定しておらず、歴史学者の間で議論が続いているのが実情です。