クレオパトラは「初めて」の母親女王ではなかった
古代エジプトの女王として最も有名なのはクレオパトラ7世ですが、彼女がエジプト史上初めて子供を産んだ女王であったかというと、答えは「いいえ」です。クレオパトラが登場するはるか前から、多くの王妃や女王たちが王位継承者となる子どもたちをもうけてきました。
先例は数多く存在した
エジプト王家において、王妃や王女の出産はごく自然な出来事でした。例えば、新王国時代第18王朝のハトシェプストは、夫トトメス2世との間に娘ネフェルウレーをもうけ、後に自らファラオとして即位したことでも知られています。
また、アメンホテプ3世の正妃ティイは、宗教改革で知られるアクエンアテン(アメンホテプ4世)を出産しました。さらに遡れば、アフメス1世の妃アフメス・ネフェルタリは複数の子をもうけ、その血統は長きにわたり王権と結びつき続けました。
セベクネフェルーのケース
一方で、中王国時代第12王朝のセベクネフェルーは、エジプト史上初の女性ファラオと目される人物ですが、確実な記録として残る子供は確認されていません。この事実からも、「女王=必ずしも母親である」とは限らず、同時に「母親となった女王はクレオパトラが最初」というわけでもないことが分かります。
つまり、出産経験を持つ女王としてはクレオパトラよりはるかに古い例が数多く存在しており、彼女はむしろ「プトレマイオス朝最後のファラオ」として歴史に名を刻んだのです。