アフリカの歴史

ジュリアス・シーザーの妻の名前は?生涯を共にした3人の妻たちを徹底解説

古代ローマの将軍にして終身独裁官となったジュリアス・シーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)。その波乱に満ちた人生には、3人の妻の存在が欠かせません。彼女たちはいずれもローマ政界の名家の出身であり、シーザーの政治的キャリアと深く結びついていました。ここでは、3人の妻の名前とそれぞれの生涯をわかりやすくご紹介します。

1. コルネリア・キンナ(Cornelia Cinna)

コルネリアは紀元前100年頃に生まれ、ローマの元老院議員ルキウス・コルネリウス・キンナの娘でした。キンナは名将ガイウス・マリウスの盟友であり、この結婚には強い政治的な背景がありました。
紀元前84年、若きシーザーはコルネリアと結婚します。しかしその後の家庭生活は長く続かず、紀元前69年、娘ユリアの出産の際にコルネリアはこの世を去りました。

2. ポンペイア(Pompeia Sulla)

ポンペイアは独裁官スッラの大姪(姪の子)にあたり、父親は執政官を務めた人物でした。彼女は紀元前67年頃にシーザーの2番目の妻として迎え入れられます。
ところが紀元前62年、彼女の評判は「ボナ・デアのスキャンダル」によって大きく傷つけられました。これは、男性の立ち入りが固く禁じられていた女神ボナ・デアの宗教儀式に、男装した男性が侵入したという事件です。この一件を受け、シーザーはポンペイアと離婚しました。「カエサルの妻は、疑われることすらあってはならない」という有名な言葉は、このときに残されたものとされています。

3. カルプルニア(Calpurnia Pisonis)

カルプルニアは紀元前76年頃に生まれ、執政官でありシーザーの熱心な支持者でもあったルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌスの娘でした。二人は紀元前59年に結婚しています。
カルプルニアは、紀元前44年3月15日の暗殺当日、不吉な夢を見たとして夫に身の安全を警告した逸話でもよく知られています。そしてシーザーが暗殺された時点で、彼女こそがその唯一の妻でした。

まとめ

シーザーの3度の結婚は、いずれも当時のローマ政界における有力家系との結びつきを象徴するものでした。妻たちとの関係は、単なる私生活の出来事にとどまらず、彼の政治的な立場やその後の運命にも大きな影響を与えたのです。