ユリウス・カエサルの死について、「クレオパトラやその姉妹を裏切ったことが原因ではないか」という疑問を持つ人は少なくありません。しかし、歴史的事実をもとに整理すると、カエサルの暗殺の背景には、はるかに複雑な政治的な事情がありました。
カエサルとクレオパトラの関係
まず押さえておきたいのが、カエサルとクレオパトラの関係です。紀元前48年にエジプトを訪れたカエサルはクレオパトラと出会い、二人の間には後に「カエサリオン」と呼ばれる息子(プトレマイオス15世)が生まれています。この事実から、両者の間に親密な関係があったことはほぼ間違いありません。
一方で、当時のカエサルにはローマに正妻カルプルニアがいました。古代ローマでは政略結婚が一般的であり、カエサルとクレオパトラの関係は正式な結婚とは認められませんでした。それでもクレオパトラはローマに滞在し、カエサルの私邸の近くに住んだとも伝えられています。「外国の女王を伴う独裁官」というその姿は、共和政の伝統を重んじる元老院議員たちの反発を買う一因となりました。
紀元前44年3月15日――暗殺の当日
カエサルは紀元前44年3月15日、通称「3月15日(イドゥス・マルティアエ)」に、元老院の議場で暗殺されました。計画の中心人物とされたのは、ガイウス・カッシウス・ロンギヌスと、カエサルから厚い信頼を受けていたマルクス・ユニウス・ブルートゥスら、およそ60名の元老院議員です。カエサルは23箇所を刺されて死亡したと伝えられています。
暗殺の真の動機
暗殺者たちの動機は多岐にわたりますが、その中心にあったのは政治的な危機感でした。
- 権力の集中への警戒: カエサルは終身独裁官に就任するなど、ローマ共和政の枠組みを超える権力を握りつつありました。
- 元老院の軽視: 元老院の権威を無視する言動が、共和主義者たちの不満を強めていました。
- 王位への野心の噂: カエサルが自ら王になろうとしているのではないかという疑念が広まっていました。
- クレオパトラとの関係: エジプト女王との親密さや、彼女をローマに迎え入れたことも、共和政の擁護者たちには強い違和感を与えました。
つまり、クレオパトラとの関係は暗殺の一因ではあったものの、決定的な理由ではありません。カエサルが命を落とした最大の要因は、急速な権力の拡大により、共和政ローマの秩序を脅かす存在となったことにあります。
皮肉なことに、共和政を守るためにカエサルを討った議員たちの行動は、結果としてローマ内戦を再燃させ、やがて後継者オクタウィアヌス(初代皇帝アウグストゥス)による帝政の成立へとつながっていくのです。