第二次世界大戦後、アメリカを中心とする西側諸国と、ソビエト連邦(ソ連)を中心とする東側諸国の対立は、約44年間にわたって続きました。
この対立構造は「冷戦」と呼ばれ、「火を使わない戦争」とも表現されます。しかし実際には、朝鮮戦争やベトナム戦争、アフガニスタン紛争のように、直接の武力衝突に発展する場面も少なくありませんでした。
現在はアメリカが超大国として君臨する時代ですが、冷戦期には、全面的な戦争こそ避けたものの、米ソ両国が睨み合い、世界が緊張状態に置かれていた時期がありました。両国は朝鮮戦争やベトナム戦争で直接衝突こそしなかったものの、代理戦争が各地で繰り広げられ、世界は常に緊張に包まれていたのです。
この記事では、アメリカとソ連の間で繰り広げられた「冷戦」について、その始まりから終結までをわかりやすく解説します。
東西冷戦とは?
1945年から1989年にかけて続いた、アメリカ・イギリス・フランスなどの資本主義陣営(西側諸国)と、ソ連や中華人民共和国などの共産主義陣営(東側諸国)との対立は、「冷戦」と呼ばれます。
「冷戦」という言葉は、米ソ両国が直接戦争を行わず、代理戦争という形での介入にとどまったことから、「cold war(冷たい戦争)」と表現されたことが由来だと言われています。
冷戦の始まりと拡大
第二次世界大戦後の処理を話し合うために行われたのがヤルタ会談です。この会談で連合国は、ドイツとオーストリアを分割統治することや、ドイツが支配していた国々の領土問題について決定しました。
その結果、ポーランド、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーなど東欧諸国はソ連の影響下に置かれることになり、ドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4か国によって分割占領されることが決まりました。
当時のアメリカ大統領ルーズベルトはソ連に対して寛容な人物であり、この会談ではソ連の要求をほぼ呑む形で合意に至りました。
ドイツ降伏後、旧領土はヤルタ会談での合意どおり米英仏ソによって分割されましたが、その直後にルーズベルトは急死します。
後を継いだトルーマン大統領は、当初ソ連に敵意を持っていたわけではありませんでしたが、東欧諸国に次々と共産主義国家が誕生する様子を見て、「ヨーロッパ全体が共産化してしまう」ことを懸念するようになりました。
こうしてアメリカは、イギリスやフランスと手を組み、ソ連に対抗していくことになります。
マーシャル・プランとNATO(北大西洋条約機構)
第二次世界大戦後、アメリカは、疲弊し切ったイギリスやフランスを共産主義の防波堤とするため、巨額の経済支援を行いました。
当時のアメリカ国務長官の名前を冠したこの支援策は「マーシャル・プラン」と呼ばれ、これによってアメリカと英仏の協力関係は強化され、西ヨーロッパの共産化は防がれました。さらにアメリカは1949年、北大西洋条約機構(NATO)を結成し、ソ連に対抗する軍事同盟を形成します。
一方、ソ連もアメリカに対抗するため、東欧の共産主義諸国を支援する経済協力機構「コメコン(COMECOM)」を設立し、さらに共産圏さらに共産圏諸国を中心とした軍事同盟「ワルシャワ条約機構」を結成して、アメリカ主導の西側陣営に対抗しました。
核開発競争の激化
アメリカは1945年に原子爆弾を完成させ、広島と長崎に投下して、その威力を世界に見せつけました。
こうしてアメリカは世界で唯一の核保有国となりましたが、ソ連もこれに対抗して核開発を急速に進め、1949年には原子爆弾の実験に成功します。ここに、米ソ両大国が核兵器を保有する恐るべき時代が到来しました。
冷戦は、米ソによる核開発競争という側面を持っていたのです。
その後も両国の競争は続き、1954年にはアメリカが原子爆弾よりはるかに強力な水素爆弾を開発し、ご存じビキニ環礁での核実験を実施して、大量の環礁を吹き飛ばしました。
ソ連も負けじと1961年、「皇帝爆弾」ことツァーリ・ボンバを完成させ、実験を行っています。
両国の核開発競争はエスカレートし、最盛期には世界を50回滅ぼせるほどの核兵器が蓄積されたと言われています。
分断国家の誕生
冷戦期には、ひとつの国家が社会主義国と資本主義国に分裂するという現象が起こりました。
その代表例がドイツ、朝鮮半島、ベトナムです。
ドイツは先述のとおり敗戦後、4か国に分割占領されました。このうちソ連占領地域は「東ドイツ」、アメリカ・フランス・イギリス占領地域は「西ドイツ」として1949年に成立し、国家が分断されました。
さらに首都ベルリンも東西に分断され、西ベルリンは西ドイツの飛び地として東ドイツに囲まれる形になりました。西ベルリンを取り囲んだ壁が、あの有名な「ベルリンの壁」です。
資本主義国の西ドイツと社会主義国の東ドイツとの間で経済格差は日増しに広がり、より良い生活を求めて東から西へ移住しようとする人が後を絶ちませんでした。東ドイツが危機感を抱き、西ベルリンを取り囲んだのがベルリンの壁です。この壁は、まさに冷戦の象徴と言えるでしょう。
朝鮮半島でも、1945年の日本の敗戦により、ソ連が北緯38度線以北を、アメリカが以南を占領しました。その後、南側には大韓民国(韓国)が、北側には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立しています。
ベトナムはフランスの植民地支配に反発し、1945年に独立を宣言しましたが、フランスはこれに反発。第一次インドシナ戦争の後、北側にベトナム社会主義共和国(北ベトナム)、南側に南ベトナムが生まれ、国家は分断されました。
代理戦争の勃発
冷戦期、米ソが直接衝突することはありませんでしたが、世界中の共産主義陣営と資本主義陣営の間で数多くの紛争が発生しました。
それが朝鮮戦争とベトナム戦争です。
朝鮮戦争
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朝鮮戦争は、韓国と北朝鮮との間で行われた戦争です。北朝鮮はソ連の支援を受け、韓国はアメリカをはじめとする西側諸国の支援を受けて戦いました。この戦争は休戦状態にあるものの、現在に至るまで終戦宣言はなされていません。
ベトナム戦争
1955年から1975年まで続いたベトナム戦争は、1964年のトンキン湾事件をきっかけにアメリカが本格介入したことで、戦況が激化しました。
アメリカは北ベトナムに対して「北爆」と呼ばれる激しい空爆を行いますが、北ベトナムのゲリラ戦術に苦戦し、最終的に撤退。1975年、北ベトナムの勝利で戦争は終結しました。
キューバ危機
1962年、アメリカの裏庭とも言えるキューバに共産主義国家が誕生したことを受けて、米ソ両国は開戦寸前まで緊張が高まりました。
ソ連はキューバを支援し、キューバ国内に核ミサイルを配備してアメリカを威嚇しました。アメリカにとって、フロリダ半島から目と鼻の先にあるキューバにソ連の基地ができることは許容できない事態だったのです。
ソ連とキューバの動きに対し、アメリカは「ソ連との核戦争も辞さない」という声明を発し、世界中が緊張に包まれましたが、土壇場でソ連が譲歩し、危機は回避されました。
この事件以降、米ソ両国は次第に歩み寄りへと向かっていくことになります。
冷戦の終結とその後の世界
1989年、アメリカと並ぶ超大国として君臨してきたソ連は、経済危機による国力の低下を背景に、特にワルシャワ条約機構加盟国である東欧への影響力が弱まり、各国が次々と離反する「東欧革命」が起こりました。
同年、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツは統一への道を歩み始めます。
また、アフガニスタン侵攻による財政破綻でソ連の国力は着実に低下し、ゴルバチョフ書記長はペレストロイカによる改革を進めます。そして米ソ首脳によるマルタ会談が開催され、ここに冷戦は終結しました。
その2年後、ソ連でクーデターが発生し、ロシア連邦が誕生します。
ソ連崩壊によりアメリカの一強時代が到来すると考えられましたが、ロシアも資本主義へ移行し、両国の関係は一応の安定を見せます。しかし2000年代に入ると、ロシアはアメリカの一極支配を警戒し、中南米やイラン、中国といった反米的な国家との関係強化に動き出しました。
こうした米露の対立関係は「新冷戦(第二次冷戦)」とも呼ばれ、互いに緊張をもたらす一方で、宇宙開発やインターネット技術の飛躍など、さまざまな分野におけるイノベーションの原動力にもなっています。
そして冷戦後の大きな動きとして挙げられるのが、ヨーロッパにおけるEU(欧州連合)の誕生です。第二次世界大戦後、低迷を続けてきたヨーロッパ諸国は、統合によって発言権の回復を目指しました。さらに2002年には統一通貨「ユーロ」が導入され、経済復興への道が開かれたのです。
現代史における重大事件である「冷戦」は、ひとまず終結しましたが、「新冷戦」と呼ばれるように、その余波は今もなお続いていると言えます。現在の世界情勢を理解するうえで基礎となる出来事ですので、その流れをしっかりと押さえておきたいところです。