
戦国時代は、大名たちが領土拡大のために争いを繰り広げた激動の時代でした。
そのため、一時的な同盟のためには、血のつながらない他人同士の子どもが政略結婚の道具として扱われることも少なくありませんでした。
今回は、織田信長の嫡男・織田信忠と、武田信玄の六女・松姫の悲恋の物語をご紹介します。
二人は織田・武田同盟のために婚約しましたが、数年後には同盟の破棄によって引き離されてしまいます。
そして、悲劇はそれで終わりませんでした……。
11歳と7歳の婚約!
織田家と武田家の婚姻同盟

1565年(永禄8年)、領地が隣接する織田信長と武田信玄は、「婚姻同盟」を結ぶことで両家の絆を強めようとしました。
信長の妹は苗木城主・遠山直廉に嫁いでおり、その間に生まれた娘を信長が養女として迎えます。
この養女が信玄の四男・諏訪勝頼(後の武田勝頼)の正室となり、ここに織田・武田の同盟が成立しました。
ところが、わずか2年後、勝頼の正室が病で亡くなってしまいます。
そこで同盟をより強固なものにするため、信長の嫡男・信忠と信玄の六女・松姫との婚約が取り決められたのです。
当時、二人はまだ11歳と7歳。ほんの子ども同士でした。
同盟破棄により婚約は解消へ

「婚姻同盟」という政略結婚とはいえ、二人は贈り物や文のやり取りを通じて、次第に心を通わせていったといわれています。
一般には直接顔を合わせることはなかったとされますが、信忠の行動には不明な点も多く、密かに逢引していたのではないかとされる逸話も残っています。
しかしそんな中、二人の仲を引き裂く出来事が起こります。
1572年(元亀3年)、武田信玄が徳川家康の三河国(現在の愛知県)への侵攻を開始しました。これが信玄による大規模な侵攻「西上作戦」です。
しかし織田信長にとって家康は同盟相手でもあったため、援軍3,000を派遣します。
このことが原因で、信忠と松姫の婚約は信玄の手によって破棄されることになりました。
これだけを見れば信玄の非情さが垣間見えますが、それこそが戦国の世というものなのでしょう。
せっかく結ばれた二人の若者を、わずか5年余りで引き離してしまう。それが戦国乱世の現実でした。
武田家滅亡と本能寺の変
1573年(元亀4年)、武田信玄は西上作戦で勝利を重ねますが、野田城攻めの頃から喀血を繰り返すようになります。
治療を受けても快復の望みがないまま撤退を余儀なくされ、帰路の途上で死去しました。
武田家の衰退と滅亡
信玄は遺言で「自分の死を3年間隠し、上杉謙信を頼れ」と言い残したと伝えられます。武田家の将来を案じるあまりの言葉でした。
しかし、その憂慮は1575年(天正3年)の「長篠の戦い」で現実のものとなります。
家督を継いだ武田勝頼率いる武田軍は、織田信長・徳川家康連合軍に大敗を喫しました。織田・徳川連合軍の戦死者が100人未満だったのに対し、武田軍の戦死者は1万人以上に及んだといわれています。
有名な武田騎馬隊と織田鉄砲隊の戦いとして語られる合戦ですね。
この敗戦以降、武田氏は織田・徳川の攻勢に苦しむことになります。
松姫は3歳年上の兄・仁科盛信のもと、高遠城(現在の長野県)へ移りました。そして1582年(天正10年)、信長が「甲州征伐」を開始すると、新府城(現在の山梨県)へ、さらには武蔵国多摩(現在の東京都八王子市)へと転々とすることになります。
甲州征伐により、武田家は織田軍の総攻撃を受け、勝頼の自害をもって滅亡しました。
そして皮肉なことに、織田軍の総大将を務めたのは、26歳になり織田家の家督を継いだ織田信忠その人だったのです。
本能寺の変による二度目の別れ

松姫はおそらく長きにわたり、信忠への想いを抱き続けていたのでしょう。度重なる縁談をすべて断り続けました。
しかし信忠もまた同じでした。
松姫が武蔵国で無事に過ごしていることを知ると、信忠は松姫のもとへ使者を送ります。
これは二人にとって人生最高の瞬間だったのかもしれません。無残にも引き裂かれた互いの想いが、ついに実ろうとした、その時まであと僅かに迫っていたのです。
ところが、運命はあまりにも残酷でした……。
武田家滅亡からわずか2ヶ月後、織田信長を自害へ追い込んだあの有名な事件が起こります。
家臣・明智光秀による謀反、そう「本能寺の変」です。
父・信長が本能寺で討たれたという知らせを聞いた信忠は、自らも二条城で迎え撃ちます。
しかし善戦かなわぬと見るや、悲しくも父と同じ自刃の道を選んだのです。
一方の松姫は、長年想い寄せてきた信忠に会うため、不破へ向かう途中でその訃報に接したといわれています。
その後の松姫

信忠を失った松姫は、22歳という若さで剃髪し、「信松尼(しんしょうに)」と名乗りました。「信」の字は信忠に由来するものとされ、彼女は生涯にわたり武田家と信忠の魂の鎮魂を祈り続けたといいます。
また一説には、信忠と側室との間に生まれた子どもが、実は松姫との間に授かった子ではないかともいわれています。
果たしてそれは、直接会うことのなかった二人の恋を惜しんだ後世の人々が生み出した空想なのでしょうか。それとも、二人は本当に愛を交わすことができたのでしょうか。
その答えを知っているのは、当人たちだけかもしれません……。