本記事では、古代インドに栄えたクシャン王朝(クシャーナ朝)の歴史について解説します。クシャン王朝は紀元後78年頃から125年頃にかけて勢力を誇り、シルクロード交易を通じて大いに繁栄した王朝として知られています。
クシャン王朝とは
クシャン王朝は、中央アジアの遊牧民族である月氏(ユエジ)の一族をルーツとする王朝です。彼らは中央アジアから北西インドへと進出し、ガンダーラ地方を中心に広大な領土を支配しました。首都はプルシャプラ(現在のペシャワール付近)に置かれ、東西交易の要衝として大きな富を蓄えました。
クシャン王朝の歴史
紀元後1世紀、クシャン人はマガダ地方周辺へも勢力を拡大していきました。特に有名なのが、クシャン朝の名王カニシカ王(在位:紀元後78年~125年頃)によるパータリプトラ(現在のパトナ)への遠征です。この遠征の際、カニシカ王は著名な仏教学者アシュヴァゴーシャを自らの宮廷に連れ帰ったと伝えられています。
カニシカ王とアシュヴァゴーシャ
アシュヴァゴーシャは、仏陀の生涯を詩的に描いた『ブッダチャリタ』の作者として知られる学僧です。カニシカ王は彼を厚く遇し、仏教の保護と発展に尽力しました。王の治世には第4回仏典結集が行われたとも言われ、仏教美術(ガンダーラ美術)も大きく花開いた時代でした。
クシャン帝国滅亡後のマガダ
クシャン帝国の衰退後、マガダ地方はリッチャヴィ族によって支配されたとされています。一方で、別の研究者たちは、マガダがシャカ・ムルンダ(サカ・ムルンダ)の勢力下に置かれていたと考えています。また、アーンドラ朝がマガダを支配したという説も存在しますが、これを裏付ける確かな証拠は見つかっていません。
分権化の時代の到来
クシャン帝国の崩壊後、インド亜大陸では強力な中央政権が一時的に姿を消し、分権化の時代が幕を開けました。各地では小規模な勢力が割拠する状況が続き、この時代は紀元後4世紀、グプタ朝による再統一が進むまで続くことになります。
まとめ
クシャン王朝は、カニシカ王のもとで仏教文化と交易の両面で絶頂期を迎えた一方、その滅亡後はマガダ地方の支配者をめぐる記録が曖昧となり、インド史全体が分裂と再編の時代へと移行していきました。クシャン朝の興亡は、古代インド政治史における重要な転換点といえるでしょう。