インド中部に位置するチャッティースガル州は、古くから中央インドの歴史において重要な役割を果たしてきた地域です。本記事では、カーラチューリ王朝の成立から、マラーター帝国の侵攻、そしてイギリスによる支配の確立に至るまで、チャッティースガルの歴史を彩る主要な出来事とその年号を一覧形式でわかりやすくまとめました。試験対策や歴史学習の参考資料としてご活用ください。
古代〜中世:カーラチューリ王朝の時代
チャッティースガル地方には、9世紀後半以降、カーラチューリ王朝が相次いで拠点を築きました。特にラタンプールは長きにわたり王朝の中心地として栄えました。
| トゥマンにおけるカーラチューリ政権の樹立 | 紀元875年頃 |
| ラタンプールにおけるカーラチューリ政権の樹立 | 紀元1050年頃 |
| カッラーリーにおけるカーラチューリ政権の樹立 | 紀元1369年頃 |
| ライプルにおけるカーラチューリ政権の樹立 | 紀元1410年頃 |
近世〜近代:マラーターとイギリスの時代
18世紀に入ると、ナagプルのボーンスレー家を中心とするマラーター勢力がチャッティースガルに進出しました。しかし19世紀初頭、イギリス東インド会社との対立を経て、この地域は次第にイギリスの支配下へと移っていきます。
| マラーター軍によるチャッティースガル侵攻 | 1741年 |
| チャッティースガルにおけるマラーター「スバー」統治の開始 | 1816年 |
| ラグージー2世ボーンスレーの死去 | 1816年 |
| ボーンスレー家とイギリスの間の従属条約締結 | 1817年 |
| パーソンジー・ボーンスレーの死去 | 1817年 |
| アッパー・サーヒブが「セーナー・サーヒブ」の称号を獲得 | 1817年 |
| シーターブールディーの戦い | 1817年 |
| アッパー・サーヒブ、イギリス軍に投獄される | 1818年 |
| ラグージー3世の即位 | 1818年 |
| イギリスによるチャッティースガル支配の確立 | 1818〜30年 |
| 初代イギリス監督官エドワード大尉の着任 | 1818年 |
| イギリス監督官アグニュー少佐の任期 | 1818〜25年 |
| ライプルがチャッティースガルの行政中心地に指定される | 1818年 |
| 在住官ジェンキンスのチャッティースガル視察 | 1820年 |
| イギリス監督官サディサクの着任 | 1826年 |
| 第一次イギリス・ボーンスレー条約の締結 | 1826年 |
| 第二次イギリス・ボーンスレー条約の締結 | 1828〜30年 |
| チャッティースガルにおけるボーンスレー統治の復帰 | 1829年 |
まとめ
チャッティースガルの歴史は、カーラチューリ王朝による長い統治の時代から始まり、1741年のマラーター侵攻を経て、19世紀前半にはイギリス支配へと大きく転換していきました。特に1816年から1830年にかけては、ボーンスレー家とイギリス東インド会社の駆け引きが展開され、ライプルが行政の中心地として定着した重要な時期です。これらの日付は、インド史や州史に関する公務員試験・各種試験でも頻出のテーマとなっているため、ぜひ押さえておきましょう。