デリー・スルタン国の州は何と呼ばれていましたか?
デリー・スルタン国(1206年~1526年)における地方行政区画(州)は、「イクター(Iqta)」と呼ばれていました。この制度はイクター制として知られ、デリー・スルタン国の行政・軍事体制の中核を担う重要な仕組みでした。
イクター制とはどのような制度か
イクターとは、スルタンが有能な将軍や貴族に与えた徴税権付きの領地のことです。これらの領地を管理する者は「イクターダール(Iqtadar)」または「ムクティー(Muqti)」と呼ばれ、領地から徴収した税収の一部を自らの報酬とし、残りを維持することで、必要に応じてスルタンに騎兵などの兵力を提供する義務を負っていました。
イクター制の目的と役割
この制度には主に次のような目的がありました。
- 中央政府が広大な領土を効率的に統治すること
- 常備軍への給与支払いの負担を軽減し、軍事力を確保すること
- 徴税と行政を地方の管理者に委ねることで統治コストを抑えること
イクターは世襲ではなく、スルタンの裁量で任命・転任・取り消しが行われたため、地方勢力の独立を防ぎ、中央集権体制を維持する役割も果たしていました。ただし、スルタン権力が弱まった時期には、イクターダールが半ば独立した存在となり、帝国の分裂を招く要因にもなりました。
後の時代との関係
なお、「スーバー(Subah)」という州の呼称は、その後のムガル帝国においてアクバル帝が行政改革を行った際に本格的に採用されたものです。デリー・スルタン国期の中心はあくまでイクター制であり、この制度はインド中世の土地税制・軍事制度の発展に大きな影響を与えました。
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