この記事では、ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンが戦った戦争を、語呂合わせを使って効率よく覚える方法をご紹介します。インド史の試験対策や教養として役立つ内容なので、ぜひ参考にしてください。
フマーユーンとはどんな皇帝?
フマーユーン(1508年〜1556年)は、ムガル帝国の創始者バーブルの息子で、第2代皇帝です。1530年に即位しましたが、アフガン系武将シャー・スーリーとの戦いに敗れて一時帝国を追われ、約15年後にようやく復位するという波乱に満ちた人生を送りました。
試験でも頻出となる、フマーユーンが関わった主な戦争は次の4つです。
語呂合わせで覚える:「出ちょ!ビシッ!」
4つの戦争を頭文字でまとめて覚えるなら、「出ちょ!ビシッ!(デ・チョ・ビ・シ)」がおすすめです。
| 語呂 | 戦争名 | 年 |
|---|---|---|
| デ | デーヴァラーの戦い | 1531年 |
| チョ | チャウサの戦い | 1539年 |
| ビ | ビルグラームの戦い | 1540年 |
| シ | シールヒンドの戦い | 1555年 |
デーヴァラーの戦い(1531年)
即位間もないフマーユーンが、アフガン系のマフムード・ローディーの軍を破った戦いです。若き皇帝にとって初めての大きな勝利となりました。
チャウサの戦い(1539年)
ベンガル遠征からの撤退中、シャー・スーリー(シェール・ハーン)の攻撃を受けて大敗した戦いです。フマーユーンは命からがら逃れました。
ビルグラームの戦い(1540年)
巻き返しを図るフマーユーンとシャー・スーリーがカンナウジ近郊のビルグラームで激突した戦いです。フマーユーンは再び敗北し、帝国を失って長い亡命生活へと追い込まれました。
シールヒンドの戦い(1555年)
サファヴィー朝ペルシャの支援を得て帰還したフマーユーンが、スーリー朝のシカンダル・シャーを破り、帝国を奪回した戦いです。しかし翌1556年、フマーユーンは事故で落命し、息子アクバルが帝位を継ぎました。
まとめ
フマーユーンの戦争は「出ちょ!ビシッ!」で、デーヴァラー(1531年)→チャウサ(1539年)→ビルグラーム(1540年)→シールヒンド(1555年)の順に覚えましょう。前半の敗北と後半の奪回という流れをつかむと、ムガル帝国史全体の理解もぐっと深まります。