アジアの歴史

宥和政策は第二次世界大戦のどの時期に用いられたのか?

宥和政策(ゆうわせいさく)が本格的に用いられたのは、第二次世界大戦の開戦後ではなく、その前段階にあたる1930年代でした。宥和とは、紛争や世界大戦への拡大を回避することを目指して、攻撃的な国家の要求に譲歩・妥協する外交政策を指します。

「宥和」という言葉は、1930年代後半にナチス・ドイツが次々と突きつけた領土的要求に対して、イギリスのネヴィル・チェンバレン首相が採った外交路線と強く結びつけられ、その代名詞となりました。

宥和政策の背景

第一次世界大戦の惨禍が記憶に新しかった当時のイギリス世論は、再びの全面戦争を強く恐れていました。また、1929年以降の世界恐慌で経済が疲弊していたこともあり、軍備の再建には時間が必要でした。こうした事情から、チェンバレン政権はドイツとの妥協によって「平和を守る」道を選んだのです。

ミュンヘン会談と宥和政策の破綻

宥和政策の象徴的な出来事が、1938年9月のミュンヘン会談です。チェンバレンはフランスおよびイタリアの指導者とともに、チェコスロバキアのズデーテン地方をドイツに割譲することを認めました。帰国後、彼はこの合意を「我々の時代の平和」と称して国民に訴えかけます。

しかし、この楽観的な見通しは長くは続きませんでした。1939年3月、ヒトラーは合意を無視してチェコスロバキア全土を占領します。さらに同年9月1日、ドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が勃発すると、イギリスとフランスは対独宣戦布告に踏み切り、ここに宥和政策は完全に破綻しました。

歴史的評価

戦後の歴史学では、宥和政策は侵略を助長した失策として批判されることが一般的ですが、当時の状況を踏まえた再評価の動きもあります。いずれにせよ、宥和政策は「開戦前の1930年代」に試みられた外交であり、戦争中に用いられたものではないという点が重要です。