アジアの歴史

フビライ・ハンが定めた中国の首都はどこ?元王朝の都「大都」の歴史

フビライ・ハンが築いた都「大都」

モンゴル帝国の皇帝として中国を統治したフビライ・ハン(クビライ・カーン)の首都となったのは、「大都(ダードゥ)」です。大都は現在の中華人民共和国の首都・北京の原型となる都市で、13世紀後半にはユーラシア有数の国際都市として大きく栄えました。

元王朝の建国と遷都の経緯

チンギス・ハンの孫にあたるフビライ・ハンは、1260年にモンゴル帝国の皇帝(カアン)に即位し、その後中国本土を支配下に収めて元王朝を建国しました。1264年、彼は金朝の旧都であった中都(現在の北京付近)を自らの都とすることを決め、これを大都と命名します。本格的な造営は1267年から始まり、宮殿や官庁が整然と配置された壮大な計画都市として建設されていきました。

政治と文化の中心地としての繁栄

大都は元王朝の政治・経済・文化の中心として機能し、壮麗な宮殿群、仏教寺院、行政機関の庁舎などが立ち並ぶ美しい都市でした。モンゴル語では「ハンバリク(カーンの都)」とも呼ばれ、マルコ・ポーロも『東方見聞録』の中でその規模と繁栄ぶりを詳細に記しています。当時の大都には世界各地から商人や使節が訪れ、東西交流の重要な拠点となりました。

元王朝滅亡後、この都市は明王朝のもとで「北平」、のちに「北京」と改名され、再整備を経て発展していきます。こうして大都は、今日の北京へとつながる都市の歴史の出発点となったのです。