アジアの歴史

古代中国にはどんな国があった?戦国七雄を中心にわかりやすく解説

統一国家「中国」が生まれる前の古代中国

古代中国文明は、現在の中華人民共和国のある地域で発展しました。しかし、「中国」という統一国家としての概念が確立したのは、紀元前221年に秦の始皇帝が天下を統一して以降のことです。

それ以前の古代中国は、数多くの国や部族が乱立し、互いに覇権を争い合う時代でした。特に紀元前475年から紀元前221年にかけて続いた「戦国時代」には、有力な七つの国がしのぎを削り合い、これらの主要国は「戦国七雄」と呼ばれています。

戦国七雄――古代中国の主要な国々

秦(しん)

西方(現在の陝西省周辺)に位置した秦国は、戦国時代後期に最強の軍事国家へと成長しました。商鞅の変法による富国強兵政策を背景に、最終的に他の六カ国を滅ぼし、紀元前221年に中国史上初の統一王朝「秦」を樹立します。万里の長城の建設や文字・貨幣・度量衡の統一など、後世に多大な影響を与えました。

楚(そ)

南方に大きく領土を広げた楚国は、戦国七雄の中で最大の規模を誇る大国でした。独自の文化と豊かな資源を有し、秦にとって最大のライバルでした。秦の滅亡後に台頭した項羽や劉邦も楚の出身であり、その勢力の強さを物語っています。

斉(せい)

東方(現在の山東省)に位置した斉国は、塩や鉄の産業で栄えた豊かな国として知られます。都の臨淄は当時最大級の商業都市であり、学問の中心地「稷下の学宮」には諸子百家の学者たちが集まるなど、文化的にも高度な発展を遂げました。

燕(えん)

北東部に位置した燕国は、北方の遊牧民である匈奴(きょうど)との衝突や防衛で知られます。七雄の中では比較的小国でしたが、名将・楽毅の指揮で一時は斉をほぼ滅ぼすほどの勢力を見せたこともあります。また、荊軻による秦王政の暗殺未遂事件でも有名です。

趙(ちょう)

北方に位置した趙国は、遊牧民の戦術を取り入れた「胡服騎射」の改革によって強力な騎兵部隊を擁し、匈奴に対する防衛の最前線となりました。李牧や廉頗といった名将を輩出した軍事大国ですが、長平の戦いで秦に大敗し、衰退へと向かいました。

魏(ぎ)

中原(黄河中流域)に位置した魏国は、戦国時代初期には李悝の変法と精強な軍隊によって最初の覇者となりました。しかし、桂陵・馬陵の戦いでの敗北を機に次第に衰退し、後に秦に屈することになります。

韓(かん)

中原に位置した韓国は、七雄の中で最も小さな国でした。強弓や剣など兵器の製造技術に優れた名産地として知られ、魏をはじめとする他国と同盟を結びながら存続を図りました。紀元前230年には、七雄の中で最初に秦に滅ぼされた国となっています。

その他の国々と民族集団

戦国七雄以外にも、古代中国にはさまざまな国や部族が存在しました。

  • 蜀(しょく):四川盆地に栄えた独自の文化を持つ国。三星堆遺跡で知られる独特な青銅器文化が有名です。
  • 呉(ご):長江下流の江蘇方面に位置し、春秋時代に闔閭や夫差のもとで強盛を誇りました。
  • 越(えつ):浙江方面に位置し、春秋時代末期に呉を滅ぼした勾践で知られます。
  • 百越(ひゃくえつ):中国南部からベトナム北部にかけて広く分布していた諸族の総称です。

まとめ

古代中国は、秦による統一まで「一つの国家」ではなく、多数の国々が競い合っていました。戦国七雄と呼ばれる強国たちの攻防は、やがて秦による中国史上初の統一へとつながり、そこから「中国」という国家の概念が形づくられていきました。これらの国々の歴史については、『戦国策』や司馬遷の『史記』などの古典に詳しい記録が残されています。