結論から述べると、日本は真珠湾攻撃の前に正式な宣戦布告を行っていません。1941年12月7日(ハワイ時間)に行われた攻撃は、事前の警告も宣戦布告もないまま仕掛けられた奇襲攻撃でした。この点は、太平洋戦争の性格を語る上で極めて重要な事実です。
計画されていた「30分前通告」とは
実は、日本政府は攻撃開始の30分前に、日米交渉の打ち切りを通知する覚書(いわゆる「対米通告」)をアメリカ側に手渡すよう指示していました。これは国際法上、奇襲ではなく「武装解除の機会を与える」形に見せるための措置だったとされます。
しかし、ワシントンの日本大使館では長文の暗号電文の解読やタイプ打ちに手間取り、野村吉三郎大使がコーデル・ハル国務長官に覚書を渡したのは、現地時間の午後2時20分。この時点で、真珠湾への攻撃はすでに始まっていたのです。
正式な宣戦布告は攻撃の後
形式的な宣戦布告は、攻撃後になって初めて行われました。日本政府は1941年12月8日(日本時間)、昭和天皇の名による「宣戦の詔書」を発し、対米英戦争を正式に宣言しています。
この通告の遅延は国際的な大きな問題となり、ルーズヴェルト大統領は議会での演説において、この日を「不名誉な日(a date which will live in infamy)」と呼び、日本の行為を卑劣な奇襲として強く非難しました。結果として、世論が一致団結していたアメリカの参戦を決定づける要因の一つとなりました。