モンゴル帝国の初代皇帝ジンギスカン(チンギス・ハーン)は、13世紀前半に中国各地へ相次いで侵攻し、後のモンゴルによる中国全土支配への道を開きました。ここでは、その征服活動を時系列に沿って分かりやすく解説します。
1205年〜1209年:西夏(タングート王国)への侵攻
ジンギスカンが最初に標的としたのは、中国西北部に位置する西夏(タングート王国)でした。複数回にわたる遠征で主要都市を次々と攻略し、1209年には西夏の皇帝を屈服させてモンゴルへの服属と朝貢を認めさせました。
1211年〜1215年:金王朝への大規模侵攻
続いてジンギスカンは、当時の華北における主要国家である金(女真)王朝へ大軍を送り込みます。野狐嶺の戦いで金軍の主力を壊滅させたモンゴル軍は、1215年に金の首都・中都(現在の北京)を陥落させました。これにより金の皇帝は南の開封へ遷都を余儀なくされ、華北の広範囲がモンゴルの支配下に入りました。
1219年〜1225年:西方遠征(ホラズム遠征)
この時期、ジンギスカンの主力部隊は中央アジアのホラズム・シャー朝へと向けられました。南宋への本格的な軍事行動は、この西方遠征の後、後継者の代になってから開始されることになります。
1227年〜1234年:西夏の滅亡と金の崩壊
ジンギスカンは1227年の死去直前に西夏を完全に滅ぼしました。その後を継いだ三男のオゴデイ・ハーンは、1234年に金王朝を滅亡させ、華北全土の支配を確立します。
1235年以降:南宋への侵攻と中国統一への道
1235年、オゴデイ・ハーンは華南を支配する南宋への大規模な侵攻を開始しました。四川盆地など各地で激烈な攻防が繰り広げられますが、南宋の抵抗は強く、その征服には数十年を要しました。最終的に南宋の首都・臨安(現在の杭州)が陥落したのは1276年、フビライ・ハーンの時代であり、1279年の崖山の戦いで南宋は滅亡します。こうしてモンゴル人は史上初めて中国全土を単一の政権(元王朝)のもとに統一することとなったのです。