アジアの歴史

ウマル・イブン・ハッタブはイスラム帝国の首都をどこに移転しましたか?

ウマル・イブン・ハッタブは首都を移転したのか?

結論から言えば、ウマル・イブン・ハッタブ(在位:634年〜644年)はイスラム帝国の首都を移転していません。彼が正統カリフとして統治していた期間、帝国の首都はアラビア半島のメディナに置かれたまま維持されました。

メディナが首都であり続けた理由

ウマルは初代カリフのアブー・バクルの後を継いだ第2代正統カリフです。メディナは預言者ムハンマドが晩年を過ごし、初期のイスラム共同体(ウンマ)が形成された聖地であり、当時の政治的・宗教的な中心地として機能していました。そのため、ウマルの時代においても引き続き帝国の統治拠点とされました。

治世中の急速な領土拡大

ウマルの治世には、イスラム帝国が大きく版図を広げました。サーサーン朝ペルシアや東ローマ帝国(ビザンツ帝国)との戦いに勝利し、レバント、エジプト、イラクなど広大な地域を征服しています。しかし、領土が大幅に拡大しても、首都がメディナから移されることはありませんでした。

首都が移動したのはその後の時代

イスラム帝国の統治拠点がメディナ以外へ移されたのは、ウマルの死後のことです。第4代カリフのアリーは拠点をイラクのクーファに移し、その後成立したウマイヤ朝はダマスカスを首都と定めました。つまり「首都移転」はウマル自身の政策ではなく、後継者たちの時代に行われたものなのです。