本記事では、インド独立運動の大きな転換点となった市民的不服従運動(Civil Disobedience Movement)の歴史を、試験対策に役立つようわかりやすく解説します。1929年のラホール大会から1934年の運動終結までの流れを、年代順に整理して紹介します。
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市民的不服従運動の歴史
ラホール大会と完全独立決議(1929年)
1929年12月、インド国民会議派のラホール大会において、市民的不服従運動の決議が採択されました。大会の議長を務めたのはジャワハルラール・ネルーです。また、この大会では完全独立(プルナ・スワラージ)の決議も可決され、1月26日を独立記念日として祝うことが決められました。
独立記念日の祝賀(1930年)
1930年1月26日、ビハール州では大変な熱気の中で独立記念日が祝われました。
ダンディ行進と塩のサティヤーグラハ
ガンディーによるダンディ行進(塩の行進)は1930年3月12日に始まり、4月5日には塩法(塩税法)に違反する製塩行為を開始しました。この塩のサティヤーグラハには、ビハール州ベリー出身でガンディーの側近だったギルダーリー・チョウドリー(通称カロ・バブー)も加わっています。彼はサーバルマティ・アシュラムでバープー(ガンディー)と長い時間を共にした人物でした。
ギルダーリー・チョウドリーは、バープーとともにサーバルマティ・アシュラムを出発してダンディへ向かった78人のボランティアの中で、唯一のビハール州代表でした。
ビハール州への運動の拡大
1930年4月15日、チャンパーラン県とサーラン県で塩分を含む土から塩を作ることにより、ビハール州でも塩のサティヤーグラハが始まりました。各地域の主な指導者は次の通りです。
- パトナー:ジャガト・ナラヤン・ラール
- サーラン:ギリーシュ・ティワーリー、チャンドリカー・シンら
- ムザッファルプル:ラームダヤール・シン、ラーマーナンド・シンら
- ムンゲル:スリ・クリシュナ・シン
- ダルバンガー:サティヤー・ナラヤン・シンハ
ガンディー逮捕と抗議の広がり
1930年5月4日、ガンディーが逮捕されました。これに抗議するデモがビハール州全域で行われ、同年5月9日にはビハール州会議派委員会が、国産品の店舗や酒類販売店の前での座り込み抗議(ダルナ)を提案しました。
チョーキダーリー税への反対運動
運動の過程では、村の見張り人(チョーキダール)の維持費として課されていたチョーキダーリー税の廃止と納税拒否を求める闘いも、ビハール州各地で展開されました。
さらに1932年1月26日には、ビハール州全体で独立記念日が盛大に祝われました。
運動の終結(1934年)
1934年4月7日、ガンディーは声明の中で市民的不服従運動の一時停止を呼びかけました。同年5月18日〜19日、ビハール州会議派委員会がこれを支持し、ビハール州における運動は正式に中断されました。
まとめ
市民的不服従運動は、1929年のラホール大会における完全独立決議を背景に、ガンディーのダンディ行進を契機として全国に広がった大規模な抵抗運動です。ビハール州では塩の自主製造やチョーキダーリー税の納税拒否など、多彩な形で闘争が繰り広げられました。試験では「ラホール大会の議長」「ダンディ行進の出発日」「各地の指導者名」などが頻出ポイントとなるため、年代とセットで確実に覚えておきましょう。