エジプト軍の強さはどのように築かれたのか
エジプトは中東・北アフリカ地域において有数の軍事大国として知られています。その背景には、20世紀半ば以降の激動の歴史がありました。ここでは、エジプト軍が強力な存在へと発展していった5つの重要な転換点を解説します。
1. ガマール・アブドゥル=ナーセルの台頭
1952年のファールーク国王追放(エジプト革命)後、ガマール・アブドゥル=ナーセルがエジプトの指導者として台頭しました。
ナーセルはカリスマ性と大衆的人気を兼ね備えた指導者であり、アラブ・ナショナリズムと社会主義を掲げて国の近代化を推進しました。
同時に彼はエジプト軍の近代化にも力を注ぎ、エジプトを地域の主要な軍事强国へと育て上げることを目標に掲げました。
2. スエズ危機(第二次中東戦争)
1956年、ナーセルはそれまでイギリスとフランスが支配していたスエズ運河の国有化を宣言しました。
これに対抗してイギリス、フランス、イスラエルの3か国がエジプトに侵攻し、いわゆる「スエズ危機」が勃発します。
ナーセルの指揮の下、エジプト軍は侵略に抵抗し、国際的な支持も得て侵攻軍を撤退させることに成功しました。この出来事は、エジプト軍が地域における強力な勢力であることを内外に示す契機となりました。
3. 第三次中東戦争(六日間戦争)
1967年、エジプト、シリア、ヨルダンはイスラエルとの間で第三次中東戦争(六日間戦争)に突入しました。
しかしエジプト軍は壊壊滅的な敗北を喫し、イスラエルによってシナイ半島、ガザ地区、ヨルダン川西岸、ゴラン高原が占領される結果となりました。
この大敗はナーセルの政治的野心にとって大きな打撃となり、彼は一時的に大統領辞任を表明する事態に至りました。
4. 第四次中東戦争(ヨム・キプル戦争)
1973年、エジプトとシリアは、ユダヤ暦で最も神聖な日とされるヨム・キプル(贖罪の日)に合わせて、イスラエルへの奇襲攻撃を開始しました。
アンワル・サダト大統領の指導の下、エジプト軍はスエズ運河の渡河作戦に成功し、シナイ半島の東岸に橋頭堡を築くことに成功しました。
戦争は最終的に停戦で終結しましたが、この戦いでの戦果は、後の交渉を通じてシナイ半島がエジプトに返還される重要な足がかりとなりました。
5. キャンプ・デービッド合意
1979年、エジプトとイスラエルはキャンプ・デービッド合意に調印し、両国間の和平が正式に成立しました。
この合意はアメリカ合衆国の仲介によって実現したものであり、シナイ半島のエジプトへの完全な返還につながりました。
さらに、キャンプ・デービッド合意はエジプトと西側諸国との関係改善にも大きく寄与し、アメリカからの軍事援助および経済援助の大幅な拡大をもたらしました。こうした支援が、今日のエジプト軍の装備・戦力の基盤となっているのです。