アジアの歴史

カンボジア侵攻はどのように始まったのか?――1970年、ニクソン政権の決断

1970年4月29日――侵攻開始の宣言

1970年4月29日、リチャード・ニクソン米大統領は、アメリカ軍がカンボジアへ侵攻することを国民に向けて発表しました。この作戦は南ベトナム軍との協力のもとで計画されたもので、「メニュー作戦(Operation Menu)」として知られています。侵攻の公式な理由は、カンボジア国内に設けられていた北ベトナム軍の「聖域」、すなわち補給拠点や兵站基地を破壊することでした。

当時カンボジアは公式には中立国であり、この侵攻は東南アジアにおける戦争を新たな段階へと引き込む重大な転換点となりました。

キッシンジャーが示唆した政策転換

侵攻の10日前、国家安全保障問題担当大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーは、アメリカがベトナムに関する政策の転換を検討していることをほのめかしていました。彼は次のように述べています。

「我々はもはや、小国が我々の政策を左右したり、戦争と平和の分かれ目となるような政策を麻痺させたりすることを許容できる世界には生きていない。」

この発言は、事後的に見ればカンボジア侵攻への布石であったと考えられています。

ニクソン大統領による国民への説明

侵攻当日、ニクソン大統領はテレビ演説を通じてアメリカ国民に対し、米軍および南ベトナム軍への攻撃の拠点として使われていた北ベトナム軍の聖域を掃討するために侵攻を命じたと説明しました。そのうえで、アメリカ人兵士の犠牲を最小限にとどめ、アメリカの関与を必要最小限に抑える方針であると強調しています。

国内の猛反発と戦争の拡大

しかし、この侵攻はアメリカ国内で広範な反対運動を引き起こしました。多くの人々は、中立国への侵攻は違法な戦争行為であるとみなし、政府への不信を強めました。

侵攻から数日後には全米各地で大規模な学生デモが発生し、オハイオ州のケント州立大学では国家警備隊が抗議学生に発砲して4人が死亡する事件が起きるなど、反戦感情は一気に高まりました。

カンボジア侵攻は、ベトナム戦争が周辺諸国へと拡大する一因となるとともに、アメリカ国内における反戦運動をかつてない規模へと成長させる契機となったのです。