アジアの歴史

1979年、イランの人々はなぜシャーを打倒できたのか?革命の実像に迫る

1979年のイラン革命は原理主義者だけの運動ではなかった

1979年にイランでモハンマド・レザー・シャー(パフラヴィー朝の皇帝)を打倒したのは、決してイスラム原理主義者だけではありませんでした。イラン革命は、世俗主義者、宗教的マイノリティ、共産主義者、ナショナリストなど、イデオロギーや信条を異にする多様な勢力からなる幅広い連合体によって成し遂げられたのです。

なぜこれほど多様な勢力が結集したのか

当時のイラン社会では、シャーの独裁的な統治に対する不満が各層に広く浸透していました。

  • 政治的抑圧: 秘密警察サヴァーク(SAVAK)による弾圧や言論の自由の欠如が、知識人や学生層の反発を招いていました。
  • 経済格差と急速な近代化: 石油収入を背景とした近代化政策は一部の都市部で富を生む一方、農村部や貧困層には恩恵が届かず、格差への怒りが蓄積していました。
  • 西洋化への反発: 急進的な西洋化政策は、伝統的価値観を重んじる宗教勢力だけでなく、文化的アイデンティティを重視するナショナリストたちにも受け入れられませんでした。

こうした背景の中、「シャー打倒」という単一の目標を掲げることで、普段なら相容れないはずの諸勢力が一時的に手を結ぶことができたのです。

革命後の権力掌握と連合の崩壊

しかし、革命の成功後、この連合体は長くは続きませんでした。ホメイニ師を中心とするイスラム派が組織力と大衆動員力において他を圧倒し、次第に国家の主導権を握るようになります。世俗主義者や左翼勢力は排除され、最終的にイランはイスラム共和制という神政国家へと転換していきました。

つまり1979年の革命は、もともと多元的な勢力による民主化や自由を求める運動として始まったものの、結果としては特定の宗教勢力による権力集中へと帰結した、という歴史の皮肉を含んでいるのです。