アメリカ独立戦争(革命戦争)の最初の一発は、1775年4月19日、マサチューセッツ州のレキシントン(Lexington)とコンコード(Concord)で発射されました。この日に行われた小規模な衝突が、やがて8年に及ぶ独立戦争の発端となったのです。
衝突の背景:イギリス軍の武器押収作戦
当時、マサチューセッツ湾岸植民地では植民地民兵(ミニットマン)がイギリス本国への抵抗を強めており、ボストン近郊に武器や弾薬を備蓄していました。イギリス軍はこれらの武器を押収し、反乱の指導者サミュエル・アダムズとジョン・ハンコックを逮捕するため、ボストンからコンコードへ進軍することを計画しました。
ポール・リビアの夜半の騎行
イギリス軍の動きを察知した植民地側は、ポール・リビア(Paul Revere)らの騎手を派遣し、「イギリス兵が来る」という警報を各村に伝えました。この「夜半の騎行」によって、民兵たちは事前に召集され、イギリス軍を待ち受けることができました。
レキシントンの交戦:「世界を震撼させた一発」
1775年4月19日の早朝、約700名のイギリス正規軍がレキシントンの村に到着すると、そこには約70名の民兵が整列していました。双方が対峙する中、誰が撃ったのか定かではない一発の銃声が響き、これがきっかけとなって乱射が始まりました。この最初の銃撃は、後にラルフ・ウォルドー・エマソンの詩で「世界を震撼させた一発(The shot heard round the world)」と称されることになります。
コンコードでの撤退戦と独立戦争への道
その後イギリス軍はコンコードに進み、北橋(North Bridge)でも民兵と交戦しました。しかし武器の多くはすでに移されており、作戦は失敗に終わります。撤退するイギリス軍に対し、沿道の民兵たちが絶えず狙撃を加え、ボストンまでの約32キロメートルの帰還の道中でイギリス軍は多大な損害を受けました。
歴史的意義
レキシントンとコンコードの戦いは、両陣営合わせて100名弱の犠牲者を出した小規模な衝突でしたが、植民地側がイギリス正規軍に武力で立ち向かった初めての出来事として、アメリカ独立戦争の幕開けを象徴する出来事となりました。現在、この地はミニットマン国立歴史公園として保存され、多くの観光客が訪れる歴史的な名所となっています。