アメリカ南北戦争(1861年〜1865年)において、ビックスバーグ(Vicksburg)とポートハドソン(Port Hudson)の2つの都市は、戦局を左右する極めて重要な戦略拠点でした。その最大の理由は、両都市がミシシッピ川へのアクセスを掌握していたことにあります。この川を押さえた勢力は、南部連合(アメリカ連合国)と西部の北軍支配地域との間を行き来する物資や軍需品の流れを完全にコントロールすることができたのです。
ビックスバーグ:天然の要塞と鉄道の要衝
ビックスバーグは、現在のミシシッピ州に位置し、ミシシッピ川を見下ろす高台の断崖の上に築かれていました。天然の要害ともいえる地形に加え、主要な鉄道の結節点であり、武器・弾薬をはじめとする軍需品の生産拠点としても機能していました。北軍がビックスバーグを制圧すれば、西部の南軍への補給線を断ち切り、最終的には南部連合を東西に分断できると考えられていました。実際、リンカーン大統領も「ビックスバーグこそが戦争の鍵である」と語ったと伝えられています。
ポートハドソン:メキシコ湾への門戸
ポートハドソンは、現在のルイジアナ州に位置するミシシッピ川東岸の町です。ビックスバーグより規模は小さいものの、戦略的重要性は決して劣るものではありませんでした。北軍がここを押さえれば、南軍が内陸部からメキシコ湾へ艦船や物資を移動させる経路を封鎖することが可能になります。1863年当時、南軍がミシシッピ川を渡れる拠点としては、この2箇所しか残されていなかったのです。
1863年の包囲戦――戦争の転換点
北軍は1863年春、両都市に対する大規模な作戦を開始しました。グラント将軍率いる北軍は長く苦しい包囲戦を展開し、ついに1863年7月4日、ビックスバーグの南軍が降伏。わずか数日後の7月9日には、ポートハドソンも陥落しました。
これらの都市を北軍が掌握したことは、戦争全体の大きな転換点となりました。ミシシッピ川の全流域が北軍の支配下に入り、南部連合はテキサスやアーカンソーといった西部諸州から事実上切り離されることになります。「父なる水路は再び海へと流れ出した」というリンカーンの言葉どおり、この勝利は北軍の最終的な勝利への道を切り開くものとなりました。