アメリカ合衆国憲法は、過去の行為に対して新しい法律を適用する「遡及(さっきゅう)適用」を、明示的に一律禁止しているわけではありません。しかし、政府による恣意的な遡及立法や遡及適用を制限するための規定が、いくつも設けられています。その代表例が、修正第5条に定められた「適正手続条項(Due Process Clause)」です。この条項により、政府は正当な法的手続を経ることなく、人の生命・自由・財産を奪うことができません。つまり、政府が個人から権利を剥奪する際には、原則として事前に通知を行い、本人に意見を述べる機会を与えなければなりません。場合によっては、この適正手続条項が、法律制定以前に行われた行為へ新たな法律を適用することを禁じる根拠にもなり得ます。
事後法禁止条項(Ex Post Facto Clause)
遡及適用を制限するもう一つの重要な規定が、第1条第9節に定められた「事後法禁止条項」です。これは、行為の時点では違法でなかった行為を、後から遡って違法とする法律(ex post facto law=事後法)の制定を政府に禁じるものです。ただし、この条項が適用されるのは刑事法制に限られます。税法や各種規制法といった民事・行政分野の法律には及ばない点に注意が必要です。
契約条項(Contracts Clause)
さらに、第1条第10節の「契約条項」は、既存の契約上の義務を損なう法律の制定を禁じています。これにより、政府は例えば一方の当事者が支払うべき金額を減らすなど、すでに締結された契約の内容を遡って変更することができません。
まとめ
以上のように、米国憲法は遡及適用そのものを包括的に禁止しているわけではありませんが、「適正手続条項」「事後法禁止条項」「契約条項」という3つの規定を通じて、政府の恣意的な遡及立法を強く抑制する仕組みを備えています。とりわけ刑法分野での遡及処罰は憲法上明確に排除されており、これらの規定は市民の権利と自由を守る重要な防波堤として機能しています。