第一次世界大戦(1914年〜1918年)において、アメリカ合衆国が正式にイギリス側に立って戦ったのは、1917年4月にドイツへ宣戦布告してからのことです。それまでアメリカは公式には「中立」の立場を保っていましたが、実際にはイギリスおよび連合国(協商国)に対して多額の融資や物資の供給を行うなど、事実上の支援を続けていました。
開戦当初のアメリカの中立政策
1914年にヨーロッパで大戦が勃発した当時、ウィルソン大統領は国民に「戦争に巻き込まれないこと」を訴え、厳正中立の方針を掲げました。大西洋を隔てた遠い大陸での紛争に直接介入すべきではない、というのが当時のアメリカ世論の主流でした。しかしその一方で、アメリカ経済は戦争の長期化とともに連合国との貿易へ深く結びついていきました。
イギリスとの深い経済的・文化的つながり
アメリカとイギリスは、共通の言語や歴史的背景を持つ密接な関係にありました。また、戦争が続くにつれて連合国向けの武器・食料・原材料の輸出が急増し、アメリカの銀行もイギリスやフランスへの融資を大幅に拡大していきました。もし連合国が敗北すれば、これらの貸付金が回収できなくなる恐れがあり、アメリカ経済にとって連合国の勝利は死活的な関心事となっていたのです。
参戦を決定づけた二つの出来事
ドイツによる無制限潜水艦作戦
ドイツは1915年に客船ルシタニア号を撃沈し、アメリカ人乗客128人が犠牲となる事件を起こしました。さらに1917年2月には、イギリス近海で無制限潜水艦作戦を再開し、アメリカ船舶への攻撃も辞さない姿勢を示しました。これによりアメリカ国内の反独感情が一気に高まりました。
ツィンメルマン電報事件
1917年初頭、ドイツがメキシコに対し、「アメリカとの戦争が起きた場合には同盟を組み、テキサス・ニューメキシコ・アリゾナの領土奪還を支援する」と提案した秘密電報(ツィンメルマン電報)がイギリスによって傍受され、公表されました。この衝撃的な報道は、中立を支持していた多くのアメリカ人の考えを大きく変えることになりました。
1917年4月、対独宣戦布告へ
こうした状況の中、ウィルソン大統領は1917年4月2日に議会で宣戦布告を求める演説を行い、同年4月6日、アメリカはドイツに対して正式に宣戦を布告しました。アメリカの参戦は、圧倒的な物量と新鮮な兵力を連合国側にもたらし、戦争の帰趨を決定づける大きな転換点となりました。
まとめると、アメリカがイギリス側に立った理由は、単なる感情や同盟義務だけではありません。経済的な利害関係、言語や文化を共有する英米の絆、そしてドイツによる潜水艦攻撃や秘密外交の露呈といった直接的な挑発が重なり合った結果だったといえるでしょう。