答えは「死」または「強制追放(国外追放)」です。
アカディア人が突きつけられた過酷な選択
18世紀の北米大陸において、イギリスは現在のカナダ東部にあたるアカディア(ノバスコシア周辺)に暮らすフランス系住民、すなわちアカディア人に対し、イギリス国王への無条件の忠誠宣誓を求めました。これに従わなかった場合、彼らに突きつけられたのは、死あるいは故郷からの強制追放という二択でした。
土地と財産の没収
要求に応じなかったアカディア人は、代々耕してきた土地や家屋、財産をすべて没収されました。追放の通告はごく短時間で行われ、所持品をまとめる余裕すらほとんど与えられませんでした。多くの人々は、わずかな手荷物だけを持って長年の我が家を追われることになったのです。
「大騒乱(グラン・デランジュマン)」と呼ばれる強制移送
1755年頃から本格化したこの一連の追放は、「グラン・デランジュマン(大騒乱)」とも呼ばれます。アカディア人は船で北米各地のイギリス植民地へと強制的に移送され、家族や共同体はバラバラに引き裂かれました。移送先では病気、飢餓、劣悪な環境にさらされ、航海中や到着後に命を落とした人も決して少なくありませんでした。
歴史に残る悲劇としての記憶
一部のアカディア人はルイジアナなどフランス勢力圏へ逃れ、その子孫は後の「ケイジャン(Cajun)」文化の源流となりました。しかし、逃亡の道のりでも多くの犠牲が出ています。アカディア人の強制追放は、出自や信仰の違いを理由に人々の生活を根こそぎ奪った歴史的悲劇として、今日まで記憶され続けています。