北米の歴史

バンカーヒルの戦いはなぜ「ブリードヒル」で戦われたのか?プレスコット大佐の要塞化の決断

アメリカ独立戦争初期の有名な「バンカーヒルの戦い」(1775年6月17日)は、その名前に反して、実際には隣接する「ブリードヒル」で戦われました。興味深いことに、アメリカ側の兵士たちはバンカーヒル自体には一度も陣取っていません。

なぜブリードヒルが選ばれたのか

1775年6月16日の夜、ウィリアム・プレスコット大佐率いる植民地軍は、チャールズタウン半島に防衛拠点を築くため派遣されました。当初の命令ではバンカーヒルを要塞化することになっていましたが、現地に到着した彼らは状況を改めて評価し直します。

その結果、ブリードヒルの方がボストンの街を直接見下ろすことができ、戦略的に優れた防御陣地であることが判明しました。ボストンに駐留するイギリス軍を牽制するという目的からすれば、ボストンに最も近いブリードヒルこそが理想的な位置だったのです。そこで彼らは夜通し作業を続け、ブリードヒルの頂上に土塁による要塞を築き上げました。

この決断がもたらしたもの

翌朝、一夜にして現れた要塞を目撃したイギリス軍は大きな衝撃を受け、直ちに奪還作戦を開始します。こうして繰り広げられたのが、歴史に名を残す「バンカーヒルの戦い」でした。

戦いの結果、イギリス軍は丘を確保したものの、死傷者1,000人以上という甚大な損害を被りました。一方の植民地軍は弾薬不足により撤退を余儀なくされましたが、イギリスの正規軍と真正面から渡り合えるという自信を得ることになります。この戦いは、独立戦争における植民地側の士気を大きく高める転機となったのです。