バンカーヒルの戦いとイギリス軍の犠牲者数
アメリカ独立戦争初期の激戦として知られる「バンカーヒルの戦い」(1775年6月17日)では、実は多くのイギリス兵が命を落としました。歴史的記録によれば、イギリス軍の戦死者は約226人、負傷者は約800人に上り、死傷者の合計は1,000人を超えました。当時のイギリス軍にとって、これは極めて深刻な損失でした。
主戦場は実は「ブリーズヒル」だった
興味深いことに、この戦いの名前になっているバンカーヒルではなく、その隣にあるブリーズヒル(Breed's Hill)が実際の主戦場となりました。植民地側の民兵がブリーズヒルに防御陣地を築いたため、イギリス軍はそちらへの攻撃を余儀なくされたのです。このことから、「バンカーヒルの戦い」という名称は、周辺地域を指す総称として定着したものといえます。
勝利したイギリス軍を襲った多大な代償
戦術的にはイギリス軍が勝利し、チャールズタウン半島を制圧しました。しかし、正面からの突撃を繰り返した結果、将校を含む多くの兵士を失うことになりました。このような状況から、この戦いはしばしば「ピュロス的勝利」(代償が大きすぎる空しい勝利)と評されます。
この壊滅的な損害は、イギリス本国に対して植民地民兵の戦闘能力の高さを痛感させることとなり、その後の独立戦争の展開に大きな影響を与えました。