「南北戦争後、北部のプランテーション所有者は何をするのか」というご質問ですが、実はこの問いの前提自体に誤りがあります。南北戦争(1861年〜1865年)の時期、アメリカ北部にはプランテーションが存在しなかったからです。
プランテーションは南部特有の制度だった
プランテーション(大規模農園)システムは、主に南部諸州と結びついた制度でした。南部では綿花・タバコ・砂糖などの換金作物が大規模に栽培され、その労働力として奴隷制が利用されていました。とりわけ「キング・コットン」と呼ばれた綿花は南部経済の柱であり、世界市場へも大量に輸出される重要な商品でした。
北部の経済構造との違い
一方、北部では気候や土壌が換金作物の大規模栽培に適していなかったこともあり、経済の中心は工業・商業、そして家族単位の小規模農業でした。北部の農家は主に食糧作物を生産しており、奴隷労働に依存する大規模農園は発達しませんでした。そのため、「北部のプランテーション所有者」という存在は歴史的に成立していません。
戦後に変化があったのは南部の方
もし「南北戦争後にプランテーション所有者(元奴隷所有者)がどうなったのか」を知りたいのであれば、それは南部の話になります。奴隷制廃止後、多くの元プランテーション所有者は無償の労働力を失い、土地を細分化して売却したり、解放された元奴隷と小作契約(シェアクロッピング)を結んだりするなど、新しい形で農園経営を続けようとしました。
まとめ
結論として、「北部のプランテーション所有者」はそもそも存在しないため、この質問への答えは「該当する人々はいない」となります。南北戦争とプランテーションを考える際は、それが南部固有の制度であったという点を押さえておくことが重要です。