北米の歴史

南北戦争の発端となった4つの州の「連邦脱退」とは?

1860年から1861年にかけて、アメリカ合衆国南部の諸州が次々と連邦からの脱退を宣言し、やがて南北戦争(アメリカ内戦)へと突入していきました。その発端となったのが、以下の4つの州による脱退の決定です。

1. サウスカロライナ州の脱退条例(1860年12月20日)

サウスカロライナ州は、エイブラハム・リンカーンが大統領に当選したことを受けて、最初に連邦からの脱退を宣言した州となりました。同州は奴隷制に強く依存した経済構造を持っており、リンカーンの当選が奴隷制存続への重大な脅威であると判断しました。1860年12月20日、州会議は脱退条例を採択し、合衆国からの離脱を正式に決定しました。

2. ミシシッピ州の脱退決議(1861年1月9日)

サウスカロライナ州に続き、ミシシッピ州が1861年1月9日に脱退を決議しました。綿花プランテーション経済の中核を担う同州にとって、奴隷労働力の確保は死活的な問題であり、北部主導の連邦政府との決別を選ぶことになりました。

3. フロリダ州の脱退条例(1861年1月10日)

翌日の1月10日には、フロリダ州が脱退条例を採択しました。人口規模こそ小さかったものの、フロリダ州は南部経済において重要な農産物供給地としての役割を果たしており、他の深南部諸州と足並みを揃えて連邦を離脱しました。

4. アラバマ州の脱退条例(1861年1月11日)

そして1月11日、アラバマ州が脱退条例を採択しました。同州の州都モンゴメリーは、後にアメリカ連合国(南部連合)の暫定首都となっており、アラバマ州は南部分離運動の中心的な存在となりました。

その後の展開

これら4つの州の脱退を受けて、ジョージア、ルイジアナ、テキサスの各州も相次いで連邦を離れ、1861年2月にはアメリカ連合国が正式に成立しました。さらに、リンカーン政権がサムター要塞への補給を試みたことがきっかけとなり、同年4月に南北戦争が勃発。開戦後にはバージニア、アーカンソー、ノースカロライナ、テネシーの各州も加わり、アメリカ史上最も多くの犠牲を出した内戦へと発展していきました。