北米の歴史

南北戦争中、北部にはどこに何人の奴隷がいたのか?

南北戦争中の北部における奴隷の実態

1863年に発布された「奴隷解放宣言」は、アメリカ連合国(南部諸州)に属する地域の奴隷を法的に自由な身分としました。ただし、この宣言には例外があり、一部の地域は対象から除外されていました。

南北戦争当時、アメリカ国内の奴隷の大多数は南部に集中しており、総数は約400万人にのぼったとされています。一方、北部に残っていた奴隷の正確な数を特定することは困難ですが、1860年代初期には北部にもおよそ10万人の奴隷が存在していたと推定されています。

奴隷解放宣言の適用範囲と限界

リンカーン大統領による奴隷解放宣言は、あくまで反乱状態にある南部諸州を対象としたものでした。そのため、連邦(北軍)側に留まっていた境界州や、すでに北軍が支配していた一部の地域は対象外とされました。デラウェア州、メリーランド州、ケンタッキー州、ミズーリ州といった境界州では、戦争中も奴隷制が維持されていたのです。

北部に奴隷が残っていた背景

北部諸州では19世紀前半から段階的な奴隷制廃止法が相次いで制定されていました。しかし、その多くは「一定の年齢に達した者から順次解放する」という漸進的な方式を採用していたため、完全な廃止までには長い時間を要しました。ニュージャージー州などでは、高齢の元奴隷が「終身徒弟」という名目で事実上の束縛下に置かれるケースも見られました。

こうした経緯を経て、1865年に憲法修正第13条が批准されたことで、ようやく合衆国全土において奴隷制は完全に廃止されることとなりました。