アメリカ南北戦争以前、南部から逃れた奴隷たちの多くは、北部に留まることなく、さらに北にあるカナダを目指しました。この背景には、一つの法律だけでは説明しきれない、より根本的な理由がありました。
カナダが選ばれた最大の理由――米国の司法が及ばない独立国だった
逃亡奴隷にとってカナダが理想的な目的地とされた最大の理由は、カナダがアメリカ合衆国とは別の主権国家であり、合衆国政府やその法の支配が及ばない土地だったという点です。国境を越えた瞬間、米国内で有効なあらゆる拘束力から解放されることができました。
さらに、イギリス帝国では1833年に奴隷制が廃止されており(アッパー・カナダでは1793年)、カナダに到達すれば法的にも自由な身分が保障されました。こうした事情から、「地下鉄道(Underground Railroad)」と呼ばれる秘密の脱出ネットワークも、最終的な目的地をカナダに定めるケースが非常に多かったのです。
逃亡奴隷法との関係は?
一方で、逃亡奴隷法(Fugitive Slave Act)そのものが、逃亡者たちを強制的にカナダへ追いやったと単純に結論づけることはできません。確かに1850年の逃亡奴隷法は、自由州においても逃亡奴隷の捕獲を認め、北部に住む黒人たちに大きな恐怖と不安をもたらしました。この不安は、カナダ行きを後押しする一因となったことは間違いありません。
しかし本質的に、逃亡者たちの選択を左右したのは、カナダが「いかなる米国の法律の力も及ばない外国の土壌」であるという事実でした。つまり、彼らがカナダを選んだのは、特定の法律による強制の結果ではなく、永続的な自由と安全を自ら求めた末の判断だったと言えるのです。
まとめ
南北戦争前の逃亡奴隷にとって、カナダは合衆国の管轄外に位置する唯一の「確実な自由の地」でした。逃亡奴隷法は北部における不安を一層高めましたが、決定的な要因となったのは、主権を持つ独立国カナダの存在だったのです。