アメリカ北東部に位置するコネチカット州。その原型となる「コネチカット植民地」は、1700年代にイギリス領北米の中でも特に重要な役割を果たしました。本記事では、建国の経緯から経済、教育、文化まで、1700年代のコネチカットに関する主要な事実をわかりやすく解説します。
1636年、ピューリタンによって創設された植民地
コネチカット植民地は、1636年にトマス・フッカー率いるイングランド人のピューリタン(清教徒)たちによって設立されました。彼らは母国での宗教的迫害から逃れ、自らの信仰に基づく新しい社会を築くことを求めて新大陸へ渡ったのです。
イギリス領北米で重要な地位を占めた商業と学問の中心地
コネチカットは、イギリス領北アメリカにおいて最も重要な植民地の一つとされました。商業や交易の中心地として栄えただけでなく、当時の植民地の中でも名門とされる大学がいくつも存在する学問の拠点でもありました。
政治的な気運が高かった土地
また、コネチカットは政治的な異論や改革の思想が根付いた土地でもありました。1770年代にはアメリカ独立革命の主要な中心地となり、イギリスからの独立を目指す動きの先頭に立つことになります。
1700年代のコネチカットゆかりの著名人
この時代のコネチカットは、後世に名を残す多くの人物を輩出しました。
- ジョナサン・エドワーズ — 東ウィンザー出身の著名な神学者・哲学者
- ロジャー・シャーマン — 独立宣言および合衆国憲法の両方に署名した唯一の人物
- ノア・ウェブスター — ウェスト・ハートフォード出身の辞書編纂者・教育者
- ジョナサン・トランブル — 独立戦争期にコネチカット植民地総督を務め、「反逆者総督」と呼ばれた政治家
農業・漁業・交易が支えた経済
植民地の経済は、農業・漁業・交易を基盤としていました。小麦、トウモロコシ、タバコなどの産物が他の植民地やイギリス本国へ輸出され、地域の繁栄を支えていました。
造船業の一大中心地
コネチカットは造船業でも有名でした。植民地内の造船所では、イギリス海軍向けの軍艦から私貿易商人向けの商船まで、さまざまな船舶が建造されていました。
発達した教育制度とイェール大学
教育面でも、コネチカットは当時としては非常に進んでいました。複数の大学・高等教育機関が存在し、なかでも1701年に創立されたイェール大学は、今日でも世界有数の名門大学としてその名を馳せています。
多様な民族で構成された社会
コネチカットは民族構成の多様さでも特徴的でした。イギリス系をはじめ、オランダ系、フランス系、そしてアフリカ系の人々など、さまざまな背景を持つ人々が暮らす社会でした。
強い共同体意識
さらに、この植民地の人々は共有する宗教的信念と自治への強い思いによって結束していました。こうした強い共同体意識こそが、後の独立運動におけるコネチカットの果たした大きな役割につながっていったのです。