ジョン・ブラウンは南軍の指導者ではない
よくある誤解ですが、ジョン・ブラウンは南北戦争における南軍(アメリカ連合国)の指導者ではありません。彼はむしろ、奴隷制の撤廃を生涯にわたって訴え続けた、急進的な奴隷制廃止論者(アボリショニスト)でした。
1859年「ハーパーズ・フェリー襲撃」事件
ブラウンが歴史に名を刻んだのは、1859年にバージニア州ハーパーズ・フェリーの連邦武器庫を襲撃した事件です。彼は武装した少数の同志とともに武器庫を占拠し、周辺の奴隷たちに蜂起を呼びかけて大規模な奴隷反乱を起こそうと企てました。
しかし計画は失敗に終わり、ブラウンはまもなく連邦軍に包囲されて負傷・逮捕されました。
反逆罪による処刑と「殉教者」への転化
裁判の結果、ブラウンは反逆罪および扇動の罪に問われ、同年12月に絞首刑に処されました。ところが、彼は刑場での毅然とした態度と遺言によって世論に強い衝撃を与え、死後すぐに奴隷制廃止運動の殉教者として称えられるようになりました。
この事件は北と南の対立を一気に先鋭化させ、翌1861年に始まる南北戦争へと国を突き進ませる重要な引き金の一つとなったと評価されています。
では、南軍の指導者は誰だったのか?
南北戦争中の南軍(アメリカ連合国)の最高指導者は、初代にして唯一の大統領であるジェファーソン・デイヴィスです。また、軍事的な指揮官としては、北バージニア軍を率いたロバート・E・リー将軍が最もよく知られています。
まとめ
- ジョン・ブラウン=奴隷制廃止論者(南軍の指導者ではない)
- 1859年:ハーパーズ・フェリー襲撃で奴隷反乱を企てるも失敗
- 反逆罪で処刑され、廃止運動の殉教者となる
- 南軍の指導者=ジェファーソン・デイヴィス(大統領)