はじめに
1950年代後半から1960年代にかけて、アメリカとキューバの関係は急速に悪化しました。その背景には、1959年のキューバ革命による政権交代と、その後に続いた一連の経済・外交上の対立がありました。
キューバ革命政府による資産の国有化
1959年、フィデル・カストロ率いる革命勢力がバティスタ政権を打倒し、新たな革命政府が樹立されました。革命政府は、国内に大きな影響力を持っていたアメリカ企業の資産――製油所、砂糖プランテーション、銀行、電力会社など――を次々と国有化していきました。
これにより、キューバに多額の投資を行っていたアメリカ企業や政府は深刻な経済的損失を被ることになりました。この資産国有化こそが、両国関係悪化の直接的な引き金となったのです。
アメリカの報復措置
こうした動きに対して、アメリカは強硬な姿勢で臨みました。主な報復措置は以下の通りです。
- 貿易禁輸(経済封鎖)の実施: キューバへの輸出を制限し、同国経済への圧力を強めました。
- キューバ資産の凍結: アメリカ国内にあるキューバ政府の資産を凍結しました。
- 国交断絶(1961年): 1961年1月、アメリカはキューバとの外交関係を正式に断絶しました。
冷戦下での対立の激化
さらに、キューバがソ連との関係を深めたことで、この対立は単なる二国間問題にとどまらず、米ソ冷戦の構図の中で一層先鋭化していきました。1961年のピッグス湾事件(プラヤ・ヒロン侵攻)や1962年のキューバミサイル危機など、両国の緊張は核戦争の瀬戸際にまで達することとなったのです。
まとめ
1950年代から60年代にかけての米古間の緊張は、革命政府によるアメリカ資産の国有化が出発点であり、それに対するアメリカの貿易禁輸・資産凍結・国交断絶といった報復措置によって決定的なものになりました。冷戦という時代背景も相まって、この対立は長年にわたり両国関係を支配し続けることとなりました。