北米の歴史

南軍は何年に北へ侵攻した?南北戦争における北侵の記録と経緯

アメリカ南北戦争(1861年〜1865年)において、アメリカ連合国(南軍)による北部への侵攻は、歴史的な記録として明確に残っています。南軍は総じて防勢で戦うことが多かったものの、戦局を打開するために複数回にわたり北部領内への攻勢を実施しています。

1862年:メリーランド方面作戦(第一次北侵)

最初の大規模な北侵は1862年9月に行われました。ロバート・E・リー将軍率いる北バージニア軍がメリーランド州に侵入し、シャープスバーグ(アンティータム)での会戦に至ります。この「アンティータムの戦い」は、南北戦争で最も多くの犠牲者を出した単日の戦闘として知られています。リーの狙いはメリーランド住民の支持獲得やヨーロッパ諸国からの外交承認でしたが、作戦は失敗し、南軍はバージニアへ撤退しました。

1863年:ゲティスバーグ方面作戦(第二次北侵)

最も有名なのが1863年の北侵です。リー将軍は再び北上し、ペンシルベニア州の深部まで到達しました。同年7月1日から3日にかけて行われた「ゲティスバーグの戦い」は、南北戦争全体の転換点となった決定的な戦闘です。有名なピケットの突撃などで南軍は壊滅的な損害を受け、以後、南部が北部領内で大規模な攻勢を仕掛けることはありませんでした。

1864年:アーリーのワシントン襲撃

1864年には、ジュバル・アーリー中将がシェナンドー渓谷を通じて北上し、7月には首都ワシントンD.C.の郊外まで迫りました(モノカシーの戦い)。さらにペンシルベニア州チェンバーズバーグを占領して焼き払ったこともあり、これは北部の首都圏に直接的な脅威を与えた数少ない事例となっています。

まとめ

つまり、南軍による北侵は1862年、1863年、1864年の三度確認されており、中でも1863年のゲティスバーグ方面作戦が最大規模でした。これらの侵攻はいずれも戦略的目標の達成には至らず、むしろ南軍の劣勢を決定づける結果となったのです。